ヒップホップの舞台裏からクリエイティブの世界を席巻するジーニアス:ウィロ・ペロン

ヒップホップの舞台裏からクリエイティブの世界を席巻するジーニアス:ウィロ・ペロン

ウィロ・ペロン(Willo Perron)という人物をご存知ですか?名前や顔は知らないかもしれないが、カニエ・ウェスト(Kanye West)、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)、ジェイ・Z(Jay Z)、リアーナ(Rihanna)といったトップ・アーティストのステージ・デザイン、アルバム・パッケージ、ナイキ(Nike)、ステューシー(STUSSY)といった世界的に有数なブランドとのコラボ作品で、彼の手がけた作品は見たことがあるはず。彼のアイデアは音楽業界だけにとどまらず、ファッション、出版からインテリア業界まで、あらゆる分野で表現されている。

そして、2019年(第61回)のグラミー賞では「最優秀レコーディング・パッケージ賞部門」にて、ウィロ・ペロンが手がけたセイント・ヴィンセントのアルバム『Masseduction』がノミネート!

ここ20年ほど、世界のビッグ・アーティストやブランドのプロジェクトを陰で操ってきたウィロ・ペロン。彼は一体どんな人物なのか?彼のメディア初の長編インタビュー、Complex Magazineのインタビュー記事(2017年11月)に補足を加えてご紹介!


Photo by Complex Mag/ Samuel Trotte

ジェイ・Zの『4:44』アルバム・アートとツアーの裏方、クリエイティブ・ジーニアス:ウィロ・ペロンに会いに行く

記事掲載日:2017年11月11日
Complex Mag副編集長 @karizzasanchez

クリエイティブ・ジーニアス:ウィロ・ペロンはここ数十年にわたり、カニエ・ウェスト(Kanye West)、ジェイ・Z、リアーナ(Rihanna)、ドレイク(Drake)、ナイキ(Nike)など世界的に有名なアーティストやブランドと仕事をしてきた。これから彼はどこに向かうのか?

ラップトップパソコンの前で体を丸め、ウィロ・ペロンはジェイ・Zのアルバム『4:44』の未公開プロジェクトのデジタル・モックアップをスクロールしている。数枚に渡るピーチ色のページには、シンプルな黒のラリッシュ・ノイエ・フォントで各国の『4:44』の発売日が記載され、広告塔、バス、タクシー、地下鉄の駅に貼られたジェイ・Zの13枚目のスタジオ・アルバム『4:44』のティーザー・キャンペーン写真などが載っている。「『4:44』のスタイルは、すべて手作業だ」10月の午後、ウェスト・ハリウッドにある自身のスタジオで、彼は語る。

Jay-Z『4:44』アルバム・カバー

多領域に携わるデザイナー/ディレクターとして、ペロンは『4:44』のパッケージ・コンセプト、クリエイティブ・ディレクションを担当した。アルバムのアートワークをデザインし、ミステリアスな『4:44』広告の他、NBA2017ファイナルズでプレミア公開したモノクロのティーザー映像広告(オスカー受賞俳優:マハーシャラ・アリを起用)を含む発表において、独創性に飛んだ役割を果たした。「アルバムのタイトルをどうするか試行錯誤を繰り返した」ペロンは初の長編インタビューで語った。「タイトルが4:44に落ち着いたとき、俺はこの色と数字で決まりだ!という感じだった。誰かに教えたくなるようなキャンペーンをやりたかった」

彼自身は多くを語らないが、先月スタートした4:44ツアーのステージセットとヴィジュアルもデザインしている。ライブ中、ジェイ・Zはスタジアムの中央に設置された8角形のステージでパフォームし、彼の上に吊り下げられたスクリーンには、様々なカメラアングルからジェイ・Zを捉えたステージ映像と彼の友人や家族の映像が映しだされた。

ジェイ・Zの4:44ツアーのステージ・デザイン (Image via Getty/Timothy Norris/Stringer)

ペロンは、2012年に開催されたサウス・バイ・サウスウェストの「アメリカン・エクスプレス・アンステージ」のパフォーマンスでジェイ・Zと初めて仕事をした。しかし、彼は長年に渡り人々の記憶に残るアルバムカバー、ライブ、商品やビデオなどの舞台裏にいた。2008年に、カニエ・ウェストのグロウ・イン・ザ・ダーク・ツアーを手掛け、リアーナのライブでは、クリエイティブ・ディレクターとして、リアーナ自身がペロンを指名した。(ダイアモンド・ツアー、アンタイ・ツアー、2016年のMTVビデオ・ヴァンガード賞のプロダクションを含む)「カニエやリアーナとの仕事で結果を出した数年後に、ジェイ・Zから電話がきた」と語る。ドレイクの2013年のウジューライクアツアーのセットとステージ映像もデザインし、ストリートブランド、ステューシー(Stüssy)の実店舗デザインも手がけている。 最近では、NIKEとNBAによる新ユニフォームお披露目発表に携わり、可動式の3つの巨大なスクリーンパネルのNBAリーグの新しいユニフォームが公開された。

近年、クリエイティブ・ディレクター、アート・ディレクターという肩書きは一般的なものになった。音楽業界のトップ・アーティストのほとんどのチームには、少なくとも1人の相談役がいる。ザ・ウィークエンド(The Weeknd)には、ラ・マー・テイラー(La Mar Taylor)、ビッグ・ショーン(Big Sean)のプロジェクトはマイク・カーソン(Mike Carson)が監督している。カニエ・ウェストは自身のクリエイティブ会社、ドンダ(DONDA)で数年かけてコラボレーター・チームを作った。しかし、ペロンがカニエと初めて仕事をした時は、ディレクターという専門職は存在しなかった。そして、ペロンがそれになるつもりもなかった。「昔は、アーティスト周りを管理するようなものだと思っていた」と彼は語る。「誰も肩書きを気にしてなかったけど、この男と毎日一緒に仕事をするのに、ただ”カニエの側近にクリエイティブなやつがいる”というのはありえない。作品へのリスペクトの欠如だと感じた。けど、意図的なものでもなかった」

「ウィロはオリジナルだ」とマット・ジョージ(Matt George)は語る。ジョージはバンクーバーとトロントにあるストリートブランド、ノマド(Nomad)ステューシーの裏方の人物だ。ジョージとペロンは15年来の知人で、ステューシーの実店舗を含む様々なプロジェクトで仕事を共にした。「ウィロは、 その肩書きを作った人間のひとり。現在は、彼らのことをクリエイティブ・ディレクターと呼んでいるのを常に耳にするけれど、その肩書きを真に体現しているのが彼だ」

ここ20年ほど、ペロンは世界のビッグ・アーティストやブランドの一大プロジェクトを陰で操ってきた。これらの成功を収めた後、これから彼はどこに向かうのか?

彼が仕事を共にしてきた著名人に比べると、ペロンは遥かに目立たない存在だ。シンプルな白Tシャツにネイビーブルーのボトムス、ニューバランスの992のグレイのスニーカーを履き、かすかなブラウン色の髪を頭の右側にコームオーバーしたヘアスタイルで、白髪のあごひげがある。LA在住の43歳のどんな男性とも肩を並べる感じだ。

しかしながら、アート、ファッション、デザインに対して常に貪欲だった。彼は、ピアノ演奏、歌、絵画が好きなピアニスト/心理学者の両親の元、カナダのモントリオールで生まれた。子供の頃は「モントリオールの名誉」と自身で述べているパフォーミング・アーツ学校(Fine Arts Core Education/FACE)に通った。「2つの授業のうち1つは必ずアートの授業だった」「英語の授業を受けて、その後はバンドの練習をしていた」とペロンは記憶している。

彼は14歳の時に学校をドロップアウトした。「惨めだったけど、理解のある両親で運が良かった」と語る。学校中退後も、彼は創造の場に没頭し続けた。ペロンの兄が古本屋で見つけてきた本を読んで、ドイツ系アメリカ人の建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)や中世/近代の建築について学んだ。また、 妙なポーランドの映像フェスティバルに行き、読書をして、グラフィック・デザインや映像を独りで学んだ。ステューシーとフレッシュジャイブ(FRESHJIVE)の創立者、リック・クロッツ(Rick Klotz)に影響を受け、19歳までに、彼が”ポスト・ウェーブの早期クラブウェア”と表現する地元のスノーボード・ブランド、リワインド(Rewind)とリチウム(Lithium)のデザインを手がけるようになった。彼はシンプルに「都会でなんでもやってみたいキッズの1人」だった。

Rawkusのクリエイティブ・デザイナー時代にヴィジュアルを手がけた
Mos Def, Nate Dogg & Pharoah Monch「Oh No」(『Lyricist Lounge 2』)

そのあとの数年間は、あれこれいろんな仕事をした。20代前半には、サイエンスというインディ・ヒップホップのレコード店をモントリオールでオープンし、後にエートラック(A-TRAK)、クローメオ(CHROMEO)のデイヴ・ワン(Dave 1)とVICE社の共同設立者、スロオッシュ・アルビ(Suroosh Alvi)と共に、オーディオ・リサーチ・レコード(Audio Research Records)を立ち上げた。(2007年に閉業) 1997年にはロサンゼルスへ移住し、D.C.シューズがオーナーのスノーボード/アウターウェアのブランド、ダブ(Dub)、スケートボード・ブランド、ドローアーズ(Droors)のデザインを手掛けた。その2年後、ニューヨークのヒップホップ・レーベル、ロウカス(Rawkus)のクリエイティブ・デザイナーとなり、当時はモス・デフ、タリブ・クエリやフォロア・モンチがいた。2002年にモントリールに戻って以来、オーディオ・ショップ<Moog>、スニーカー・ショッ<GoodFoot>、メンズ・ストリートブランド・セレクトショップ<Eskimo>、レディース・セレクトショップ<Mosquito>といった地元のショップ・オーナーになった。

ペロンはリアーナからレディ・ガガまであらゆるアーティストと仕事をしてきた (Photo By Samuel Trotte)

同年、アメリカン・アパレル(American Apparel)の店舗デザインをスタートした。ペロンとアメリカン・アパレルの創設者ダブ・チャーニー(Dov Charney)は長い間疎遠だった。ある日、チャーニーは何も知らずにモントリオールにあるペロンの新しいデザイン・スタジオに立ち寄り、その空間に圧倒された。「ダブが入ってきて、『クールだ!これは一体なんなんだ!?』という感じだった」と、チャーニーのしゃがれ声を真似ながらペロンは語る。「振り向くと、ダブがいた。彼は『あぁウィロ!君だったのか!元気だった?』って」ペロンはチャーニーに、自分が持っているショップについて話し、各ショップを案内した。チャーニーは、ペロンの作品に感銘を受け、アメリカン・アパレルの店舗デザインの仕事に誘った。「俺の持つ店舗に隣接したスペースを貸りて、アメリカン・アパレルの第1号店を作った」とペロンは語る。「オープン日は、クレイジーだったよ」

彼は韓国からマイアミまで世界中を旅した。そして、イタリアのデザイン書籍「High-tech: The Industrial Style and Source Book for the Home」にインスパイアされたアメリカン・アパレルの数百件もの店舗を毎週オープンした。彼はこの体験について「最高だった」と語る。

しかし、3年間ずっと店舗をオープンし続け、燃え尽きた。「忙殺の日々で、みんなにウンザリだった」とペロンは語る。彼はモントリオールから逃げ出す必要があった。そして、絶対に戻らないと誓っていたロサンゼルスに友人を訪ねて行った。驚いたことに、時を経て変化をとげたロサンゼルスを気に入ってしまった。小旅行が最終的には永住となり、彼はモントリオールにあった自分の店舗や自宅を売った。

ロサンゼルスに引っ越して1週間後、アップル社から連絡があった。アップル社はペロンにいくつかの店舗プロジェクを手伝ってほしかった。ペロンは了承したものの、すぐに自分が企業体質に向いていないとわかった。「アメリカン・アパレルでは、既存のポリティカル・マシーンと上手くやるために、俺は自分で動いて、自分が雇いたい人材を雇っていた」と語る。1年もしないうちに、彼はアップル社を辞めた。「本当に、合わなかった」

Kanye West 『808s & Heartbreak』

彼は最終的に自分に適した場所に納まった。2006年、 彼はマレーシアの都市クアラルンプールで、レイト・レジストレーション・ツアー最後のライブを終えたカニエ・ウェストと会った。「その時、カニエは『カレッジ・ドロップアウト』と『レイト・レジストレーション』を出していた」と彼は語る。「彼はジャージー・ラップ後の自分を更に高めようとしていた時期で、ちょうどよいタイミングで出会えた」彼らはすぐに意気投合し、一緒に働き始めた。「俺はカナダの貧しい家庭で育ったラップとミュージアム好きのキッズだった」と彼は語る。「多くの人には意味が分からなかったみたいだけど、カニエは理解してくれた」

最初のカニエとの仕事は、彼のワードローブ整理を手伝うことだった。「ロサンゼルスのカニエの家に行って、地下の1部屋サイズのクローゼットに連れて行かれた」「カニエは、『君が気に入らないものはすべて捨てて』って感じで、俺は『本当にいいの?ほとんど何も残らないと思うよ』という感じだった」 ペロンは窓の外を眺めて、その瞬間を思い出しているようにクスクスと笑った。カニエからのリクエストは、今でも彼を楽しませているようだった。「彼のクルーにはドン・C(Don C)イバン・ジャスパー(Ibn Jasper)という仲間がいて、彼らはベイプ(Bape)やファレルのクロージングに夢中だった。俺は逆で、コム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons)メゾン・マルジェラ(Maison Margiela)のように、きちんと仕立てられた服が好きだった。カニエは「俺は本気だ。お前が気に入らないものは捨ててくれ」って感じだったから、要らない何百着もの服を取り除いた。その中には、ベイプのシャーク・フーディもあったけど、それは元に戻された」翌週には、カニエの家にテイラーを連れて行きラッパーの服を仕立てあげた。

自分の興味を共有し、自分が知らないことを知っている人間にずっと魅了されているカニエは、自分の友人やコラボレーター仲間の輪にペロンを迎え入れた。ペロンは、ステージ・デザイナーのエス・デブリン(Es Devlin)、ライティング・セット・デザイナーのマーティン・フィリップス(Martin Phillips)、カタリスト/LED技術者のジョン・マクガイア(John McGuire)と共に、2008年のグロウ・イン・ザ・ダーク・ツアーをはじめ、ほぼ全てのカニエのプロジェクトに取り組んだ。「イェがそうさせたんだ」と語る。「俺はどちらかというと観察して作品に磨きをかける役割だ」その後も、米テレビ番組”SNL創立40周年記念スペシャル”、フォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開催された4日間のイェ(Ye)のステージにおけるクリエイティブ・ディレクションを担当し、MTVのヴィデオ・ヴァンガード・アワードのモンタージュ映像や「808s & ハートブレイク」のカバー、写真、デザインのクリエイティブ・ディレクション、そしてイージー・シーズン・スリー(Yeezy Season 3)のショールーム・デザインを手がけた」

Yeezy Season 3 / Photos by Willo Perron & Associates

「カニエは素晴らしいミュージシャン/クリエイターだ」と彼は語る。「元々スーパー超好奇心旺盛な性格で、超参加型だ。俺は彼が何か別の要素を取り入れるのを手伝っただけ。彼に情報を与えることで影響を与え、彼はそれらの中から自分が欲しいものを選び取る。100%カニエによるものだ。『俺がカニエのクリエイティブ・ディレクターだ』と言うヤツは…間違いだね。絶対に違う。たぶん、そいつは彼が考えるのを手助けしただけで、実際にはカニエがやったんだ」

ペロンはライブやツアーの仕事で知られるようになった。皮肉なことに、どちらも彼の当初の計画にはなかった。「こんな仕事をするなんて考えてもいなかった」と彼は語る。振り返ると、全て完璧に筋が通っている。「俺は服のデザインをし、インテリアや空間をデザインし、音楽業界でも働いた」と続ける。「自分が知っているもの全てを寄せ集めたんだ」まもなくして、彼はレディ・ガガ、リアーナ、ドレイク、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、ブルーノ・マーズ、ミゲル、ケイティ・ペリーそしてジェイ・Zを含む他のトップ・アーティストから仕事の依頼がくるようになった。

彼のスタジオから数ブロックのレストランで、ペロンはビック(BIC)のライターとペンを観察して興奮している。彼の目は興奮で輝き、手の動きは活気に満ちている。「天才的だ!」と声をあげ、手を振り上げた。変わったこだわりではあるが「本質主義(essentialism)が大好きだ」と言うペロンにとっては違う。

「ひとつのことを極めて、本物だと証明しているひとが好きだ」と語る。彼はクラーク・ワラビー、リーヴァイス501、そしてコンヴァース:オールスターを例に挙げる。「俺にとって、不朽の名作の1つに辿り着くことがデザインにおける究極の偉業だ」


作品が気に入られなくても、そんなことはどうでもいい。
物議をかもしだすぐらい人々を動揺させるに充分なものであればいい。


彼の個人的な趣味とは異なり、彼の作品の多くがそれとは真逆のものであることは面白い。とりわけ、2000年代後期、インヴィジブル・テイラー(Invisible Tailor)という、本質主義への敬愛にインスパイアされた男女兼用のレザー・ジャケット・ブランドを、ジョージとファッション・デザイナーのスティーヴン・アラン(Steven Alan)とスタートした。作品の数々は、しばしば儚いもので、人々の集団意識やニュースで起こっているものを扱う。「俺の作品はリサーチと、今自分たちがいる位置から生まれる」と彼は語る。「”今”どんなストーリーを語るか?ということだ」

彼は「使い捨てのアイデア」と呼ぶものに没頭するのを好む。「すべては、ユーモアのセンスから始まる」と解説する。「『ここにあるとは思ってもみないような使い捨てって何だ?』と考えないといけない。最もバカらしいアイデアを試してみて、上手くいくかどうかやってみる。そして、別のものに絞り込み、もう少し意味のあるものに辿り着く。すぐに消費され処分されるべきものを生む能力は、俺にとって興味深いものだ」

一度、ドレイクの”ウジューライクアツアー”用に、ドレイク主演の字幕付き韓国のギャング映画をディレクションしては?と提案したことがある。彼が提案した筋の通らないアイデアのひとつ、そのショート・ムービーが、ドレイクのライブ中に巨大スクリーンで映し出された。そこに真のインスピレーションは存在せず、彼がドレイクの素晴らしい演技力とダークさが染み込んだ映画との相性が良いと、単に思いついただけだ。「はじめは、その方向で進めた」と彼は言う。「だけど、半分ぐらい進めてから、コンセプトがあるものにしたくないと決めた」

ペロンはそれぞれのプロジェクトに異なるアプローチをし、彼の制作プロセスに決まったやり方は存在しない。共同制作関係のものもあれば、「ブラック・ボルテックスを得た俺」(パワーアップした俺の単独作業)の仕事もある。しかし、一貫しているのは、彼が取り組む膨大な量のリサーチである。

Jay-Z『Magna Carta Holy Grail』

いかなるプロジェクトでも、彼は何百ものヴィジュアル資料を入念に調べる。例として、ジェイ・Zの『マグナ・カルタ・ホーリー・グレイル』のアルバム・パッケージには、様々なメディア媒体に広がる多種多様なイメージ写真が含まれている。それは、N.W.A、ヘブライ語で「財産権」と書かれたスウェットを着ているマイク・タイソン、墓地、ヘブライ語で書かれたショーン・カーターの文字、トム・フォードの香水ボトル、政治的プロパガンダ映像のスクリーンショット、森山大道アリ・マルコポロス(Ari Marcopoulos)タイロン・ルボン(Tyrone Lebon)が撮影した象徴的写真、ジェームス・ブラッグデン(James Blagden)の2009年の作品『Dock Ellis and the LSD No-No』を含む様々なショート・アニメの静止画で構成されている。「『Dock Ellis and the LSD No-No』が大好きで、ショート・アニメを作ろうとしていたんだけど、代わりに『4:44』で実現することになった」

「ウィロは、インスピレーションが湧かないと思ったら、数日間どこかに消えて、数百万のドキュメンタリーを観て、本を読むようなタイプの男だ」とジョージは語る。「彼が行うリサーチは莫大な量だ」

2015年iHEART RADIOアワードのリアーナのステージ・セット:
黒いヘリコプターがポイント
(Image via Getty/Kevin Mazur)

彼は、参考資料データベースを持たず、映画、会話、本、インスタグラムやインターネットで見つけた写真、夢など、どんなものからでもインスピレーションを得ることができる。ある時は、真夜中に目が覚めて、2015年のアイハートレディオ・アワードのリアーナのパフォーマンス用に黒いヘリコプターのステージ・デザインを思いついた。ジェイ・Zがサタデーナイト・ライブ(SNL)でコリン・キャパニック(Colin Kaepernick)のジャージを着たのも同様に思いついた。「目が覚めて『キャパニックのジャージ。SNLだ。』という感じだった」とペロンは振り返る。「ジェイはもうその領域にいた。SNLの1週間前に開催されたザ・メドウ・ミュージック&アート・フェスティバルでは「ムーンライト」をキャパニックに捧げ人種差別に抗議していたし、スーパーボウルのハーフタイムショウの出演も断っていた。「わかった。俺らは既にドープな領域に到達しているから、話してもっと深く掘り下げよう」という感じだった。

最終的に、彼の目的は珍しい組み合わせに意味を持たすことだ。「リサーチの重要な部分は、確実に調和しないものを組み合わせることだ」と彼は説明する。「人は物事をパターン化して理解し始め、かつて存在しなかった言語や論理を型にはめ始める」

ペロンのスタジオにあるシェルフには黒文字でラベルが貼られたグレイのファイルボックスがあり、彼が一緒に仕事をした人の名前が書かれている。ジェイ・Z、ドレイク、カニエ・ウェスト、フランク・オーシャン、マリリン・マンソン、ブルーノ・マーズ、ジ・エックス・エックス、コールドプレイ、セイント・ヴィンセントやレディ・ガガなどが名前を連ねる。

時が経つにつれ、彼は多くのビッグ・アーティストやブランドにとって魅力的な存在となった。さらに、彼が最初にカニエと仕事を始めた時には存在しなかった職業 、”ミュージシャンのクリエイティブ・ディレクター”志望で活動している次世代の育成サポートもしている。「いまは、一般的になったけど、俺たちが考え出したもの」と語る。

しかし、彼は周りからの賞賛や、作品が絶賛されたかどうかは気にしていない。「作品が気に入られなくても、そんなことはどうでもいい」とスタジオにある日焼けしたレザー・ソファに座って彼は語る。「くだらなく無意味なものだと思ってくれたらいいな。物議をかもしだすぐらい人々を動揺させるのに充分なものであればいい」

彼の目標はさらに大きい。「俺の作品のいたるところで会話が欲しい」と語る。「表現手段メディアム内で、何を変えることができるのか会話を始めたい。みんなガッツがあるべきだ。全く何も試さないより、何かしようとして出来た醜いものの方を見たい。俺にとっては、その方が立派なことだ。そこに俺が好きな何かをみつけることができるだろう」

間も無く、ペロンは、7年前に設立したデザイン・スタジオ、ウィロ・ペロン&アソシエイツを、ロサンゼルスのシルバーレイクにあるより大きな新しいオフィスに移す。彼のチームも2倍になる。アート部署をもうけ、スタッフはインテリア建築とライブ・ショウに尽力する。「真面目に受け止めて、オフィスを作るために多くの時間を費やしている」「それに、俺にとっては歳を重ねるのに、より良い環境だ」

さらに重要なことに、新しいオフィスでは、様々な媒体で作業し続けることを可能にする。「ひとつものに依存しているわけではない」と語る。「ウェブみたいなものさ。ビデオ、インテリア・プロジェクト、印刷物、キャンペーン・プロジェクトもやる。ただツアーをするだけではない。」彼には、やりたいことが沢山あるようだ。

ジェイ・Z、カニエ・ウェスト、レディ・ガガなど
様々なプロジェクトの表現手法とモックアップを含むファイルボックス
(Photo By Samuel Trotte)

しかし、何十年ものキャリアを経て、彼が最も誇りに思っていることは何だろうか?ペロンは部屋を見回してクスクス笑い、返答に困っている。 「なんという質問だ…」と彼は言った。

しばらくして、彼はもう一度答えようと試みた。 「何か誇りに思っているとすれば、それは俺たちが”ヤバさ”と”アートの意識”をメインストリームメディアに持ち込むのに役立ったことだ」と彼は語る。 「俺らのおかげで若い子たちはミュージアムに足を運ぶ。俺たちは最高のデザインブックだ」

「けれども、山に登って頂点に到達すれば、それで終了というものでは無い」と語る。「継続的なもので、俺は自分のキャリアを、夕食会で聞くジョークのオチのようなものとして考えている。ジョークのオチは素晴らしい瞬間となるだろうが、それで俺が決定づけられるわけではない。その前後に沢山の物事が存在している」

このような感じで、彼は仕事に戻らなければならなかった。
ジェイ・Zのチームが彼の電話を待っている。<終>


Willo Perron Official
https://www.instagram.com/willoperron/
http://www.willoperron.com/


<おまけ>2018年にウィロ・ペロンが手がけた作品

Complexのインタビュー記事が2017年11月と少し古いので、2018年にウィロ・ペロンが手がけた作品を紹介!ドレイク、ミーゴスといったアーティストのステージ・デザインから、CDパッケージ、ブックデザイン、オフィスや店舗のインテリアまで多岐に渡る。

▼Aubrey & the Three Migos Tour

▼St. Vincent 『MassEducation』

Photo by Willo Perron & Associates

▼Yeezy Office & Studio

Photo by Willo Perron & Associates

▼Migos @ Coachella 2018

▼Migos Live @ SNL

Photo by: Will Heath/NBC/NBCU Photo Bank via Getty Images

▼Quavo Live @ The Tonight Show Starring Jimmy Fallon

Photo by Willo Perron & Associates

▼Anderson .Paak Live @Apple Music /Brixton Academy

▼Anderson .Paak & The Free Nationals – Bubblin@Jimmy Kimmel Live

▼Henry Tayler Book Design

Photo by Willo Perron & Associates

▼Pornhub Awards

▼Kanye West ft. Lil Pump – I Love It SNL Performance

▼STUSSY London/Taipei

《こちらもオススメ》

YAPPARI HIPHOP初LA紀行 ヒップホップ的観光スポット... L.A. HOOD LIFE TOURSに引き続き、LA滞在中に訪れて良かったYAPPARI HIPHOP的LAの観光スポットを3つご紹介したいと思います。カリフォルニア・アフリカン・アメリカン・ミュージアムというミュージアム、レイマート・パークというエリアとデリシャス・ピザになるのですが、まず1つ...
オークランド紀行 3/4<衝撃のドレイク&ミーゴス・コンサート編>... YAPPARI HIPHOPオークランド紀行 1/4<ダウンタウン編>、YAPPARI HIPHOPオークランド紀行 2/4<ダウンタウンをサイクリング>に引き続き、今回は、旅のハイライトでもあるドレイクとミーゴスによる”Aubrey & the Three Migos Tour”のライブ@...
YAPPARI HIPHOP初LA紀行 “L.A. HOOD LIFE TOURS... YAPPARI HIPHOPのAKKEEです。8月に初めてロサンゼルスへ行ってきました!ただ単に夏休みをとってケンドリック・ラマーのLA公演を目がけて旅行に行ったというだけなのですが、ロサンゼルスでも相変わらずのヒップホップ三昧で、個人的な趣味であるヒップホップ研究(フィールドワーク)が面白かったの...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください