80年代〜NYストリート・ファッションを席巻したダッパー・ダン驚愕のライフ・ストーリー【1/3】

80年代〜NYストリート・ファッションを席巻したダッパー・ダン驚愕のライフ・ストーリー【1/3】

ダッパー・ダン(Dapper Dan)という人物をご存知ですか?彼は1982年から1992年にかけてNYハーレムでブティックを経営し、ルイ・ヴィトン、グッチ、フェンディやMCMといったファッション・ブランドのロゴをあしらったカスタム・デザインの服をラッパー、アスリート、セレブにカスタム制作し人気を博した伝説の人物として知られています。そんな彼が、2018年にグッチと公式パートナーシップを結び、74歳にしてファッション業界に返り咲きました。

そんなダッパー・ダンの自伝本『Dapper Dan: Made in Harlem: A Memoir』を読んでみたところ、80年代のヒップホップ・ファッションのスタイルを作ったパイオニアという人物像とは打って変わり、筋金入りのストリート・ハスラーのストーリーでした。ダッパー・ダン自身の話に加え、幼少期を過ごした50年代、ハスラー人生を送った60年代〜70年代、ブティックを開店した80年代から90年代まで、NYハーレムという街の移り変わり、裏社会やドラッグがコミュニティに与えた影響など、ヒップホップ・カルチャーが生まれた頃の様子や社会的背景もよく分かるヒップホップ好きにはたまらないドープな1冊でした。案の定、翻訳本が出る気配はないので、この自伝を元にダッパー・ダンがブティックを経営していた80年代から90年代の印象的なエピソードを3回に渡って紹介していこうと思います。

※ブティック開店にはハスラー時代が密接に関係してくるので、最初に幼少期から30代ぐらいまでの人生の概要をざっくり下記にまとめています。(興味深い話を60%ぐらい省いています)


ダッパー・ダンの幼少期〜30代後半までの人生

本名:ダニエル・デイ。1944年ハーレム生まれのハーレム育ち。7人兄弟の4番目。子供の頃は家庭が貧しく自分が必要なものは全部自分でゲットするスタイル。中学校では、ダイス・ゲームの達人に出会い、ストリートでギャンブルをしてお金を稼ぐようになる。高校を中退し、ドラッグ・ディーラーをやっていた3人の兄たちの手伝いをしながら、10代でフルタイムのギャンブラーになる。ある日、ヘロイン売買で兄弟と共に逮捕。ほどなく再逮捕され、拘置所で3ヶ月間過ごす。拘置所の中では、ヘロインの離脱症状に苦しみながら、マルコムXを暗殺したとされるネイション・オブ・イスラムの3人の男の1人を目撃したり、看守からネイション・オブ・イスラムに勧誘されたりする。

ある日、コミュニティの貧困層に教育と就職の機会を与える活動をしている非営利団体の男に出会い、23歳で高卒の資格を取るために予備校に通い始める。その学校の学生たちが発行していた新聞で執筆業をスタートし、コロンビア大学ジャーナリズム学科の奨学金を受けれることに!しかし、それを断わり人生に一度あるかないかチャンスということで、学校の無料夏季プログラムでアフリカ旅行に行く。アメリカ政府(CIA)からの嫌がらせを受けながら、なんとかアフリカに到着したダニエルは、アフリカの伝統的な生地に魅了されてしまう。ニューヨークに戻ったダニエルは高卒の資格を取り、奨学金でアイオナ大学に通い始める。ダニエルにはすでに何人か子供がいたので、昼間は大学で勉強し、深夜はダイス・ゲームで養育費を稼ぐ日々が続いた。そのうち大学の成績が悪くなり、再びフルタイムのストリート・ハスラーに!74年には、アフリカで開催されたモハメド・アリのボクシング試合を観戦するために自費でアフリカに渡り、ギニアのフラーニ族のテイラーに出会う。彼に作ってもらったスーツがハーレムで大好評!

70年代に入ると、ダニエルのギャンブルキャリアで一番お金を稼ぐ時期に突入。ニューヨーク裏社会のドラッグ産業が一番潤っていた時期でもあった。ダニエルは昔からドラッグ・ディーラー相手にダイス・ゲームをしてきたが、麻薬王:フランク・ルーカスのような新世代が台頭してきた。時代が変わり、昔はそこまで危険ではなかったダイス・ゲームが命を落とす危険性のあるギャンブルに変わった。ダニエルはフランク・ルーカスの縄張りのジャズクラブで行われた大規模なダイス・ゲームに潜入し、翌日ベンツを現金購入できるほどの大金を稼いだ。しかし、後日フランク・ルーカス一派に命を狙われていたことを知り、ドラッグ・ディーラー相手のギャンブルから本気で足を洗う覚悟を決める。ダニエルは次に、自分の車のトランクで盗品の洋服を格安で売るブースターの仕事を始めた。ある日「クレジットカードを買わないか?」と男に声をかけられ、元ネイション・オブ・イスラムのクレジットカードのプロと盗難クレジットカードの不正利用犯罪を計画。仲間とカリブ海の島々を巡りながら盗品クレジットカードでジュエリーを買い漁っていたが、アルバ島で逮捕!刑務所内では、クレジットカードのプロからクレジットカードの科学を伝授してもらい、自分にまだできることがあるんじゃないか?と、次は盗品ではなくクレジットカードの違法複製ハッスルをスタート!クレジットカードを焼いたり煮たり溶かしたり研究と実験に没頭し、クレジットカードの複製方法をマスターしたダニエルは、クレジットカード犯罪に対する新しい法律ができるまでの2年間、このハッスルで荒稼ぎした。


ハーレム125丁目にダッパー・ダン・ブティックを開店!

クレジット・カードの違法複製で得た大金を貯金していたダニエルは、その後1年間働かなかった。次は何をしようか?と考えていると「洋服はどうだ?」とひらめいた。ダニエルにとってファッションとは自己表現ではなく、パワー(権力)だった。お洒落してカッコよくいることは、車のように人生の様々なシチュエーションを乗りこなすための乗り物だった。

ハーレムの人々はダニエルのファッションを褒めていたが、ダニエルはファッションについてあまり知らなかった。まずは、人々がどんな商品を欲しがっているのか探るため、様々な洋服のサンプルを自分のトランクで売ってみることにした。仕事の合間には、売店で「VOGUE」や「GQ」といった雑誌を立ち読みし、どんなファッションが流行っているのか、自分だったらどんなデザインにするか想像を巡らせた。当時、ダニエルが分かっていたことは、大金を持ったドラッグ・ディーラーたちがカッコイイ服を欲しがっていて、それに応えるためにブティックを開店することだった。毛皮商人のユダヤ人が所有しているハーレムの125丁目の路面店を見つけ、ダッパー・ダン・ブティックを開店した。当時のダニエルの目標は、ハーレムの大物ドラッグ・ディーラーやハスラーに毛皮を調達するトップの毛皮商人になることだった。ダニエルは毛皮に関するあらゆる本を読み、当時アメリカに3人しかいなかった黒人の毛皮商人に会いに行き、毛皮の種類や生産工程を学んだ。

ブティックを開店してからは、今までにダイスゲームを通じて知り合ったハーレムの大物ハスラーやマフィアのトップが毛皮のコートを買いに来るようになった。彼らの間では「そのコートどこで買ったんだ?」「ダッパー・ダンの店だよ」という会話が繰り広げられ、ハスラーたちは宣伝やマーケティングの役割も果たしていた。


ハーレム125丁目のコミュニティからの反発

ブティック開店当初は、顧客がドラッグ・ディーラーやハスラーだったため、ハーレムの125丁目のコミュニティからは厄介者のように扱われた。教会に通う人たちは、本当はドラッグを運んでいると噂し、店の前を通りかかった知り合いに「店を見てってよ!」と声をかけても「この店の出入りを禁じられているから」と断られた。

ある日、毛皮の卸問屋を見つけ、700ドルで仕入れたクリスタル・フォックスやミンクの毛皮をハーレムのハスラーたちに3,000ドルで売った。毛皮ビジネスで稼げることに気づき、ファッションの仕事を本気でやることに決めた。

高級な毛皮は季節物商品だったので、毛皮が売れない時期にレザーを売ろうと思いついた。レザーは70年代のブラック・パワー時代に大流行し、コート、ベスト、ショーツなど冬以外のシーズンにも着ることができた。当時のアスリート、ミュージシャン、ドラッグ・ディーラーといったハーレムの富裕層が服を買いにいくA.J.レスターという人気店をリサーチした。そこで、卸問屋で見たのと同じジャケットが売られていた。ブティックに反発していたコミュニティの人々も、安売りバーゲンには弱いだろうと考えたダニエルは、A.J.レスターで売られているジャケットと同じ商品を自分のブティックで30%オフで売り始めた。そのバーゲンセールが大ヒットし、「ファーを内側につけたらいいんじゃない?」と客が商品についてアイデアを言ってくるようになった。これをきっかけに、ダニエルはジャケットのカスタムを始めた。

このレザージャケットが話題になると、A.J.レスターが噂を聞きつけブティックに偵察に来た。その後、毛皮の卸問屋がダニエルに、これ以上毛皮を売ることはできないと言ってきた。A.J.レスターが圧力をかけたのだ。そして、毛皮を売ることはできないが生のレザーだったら売れると言ってきた。


セネガル人のテイラーを雇い、カスタムを始める

今度は「どうすればオリジナルの服が作れるのか?」という問題にぶち当たった。ある日、ハーレムを歩いているとアフリカの工芸品を売っている男を見て、アフリカ旅行で出会ったテイラーのことを思い出した。テイラーがいれば、オリジナルのジャケットを作ることができると思ったダニエルは、その男に事情を説明し、裁縫ができるアフリカ人がいたら、店に来るようにお願いした。1週間もしないうちに、セコウという名前のセネガル人のテイラーが店にやってきた。ダニエルが顧客にヒアリングしている間、セコウが顧客の寸法を測った。ダニエルはビッグ・セックと試行錯誤しながらカスタム・レザー・ジャケットの制作を始めた。ブティックの評判はハーレムやニューヨーク以外にも広がり、顧客からの需要に追いつくため、ブティックで過ごす時間が多くなった。24時間で仕上げてくれと注文してくる客がいたり、ギャンブルやナイトクラブで遊び終わったハスラーが札束を持ってブティックに来ることもあり、仮眠をとりながら24時間営業していた。


初のグッチ・モノグラム・ジャケット完成!

常連客の中にジェームス”ジャック”ジャクソンという男がいた。彼はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーのひとつ、ガンビーノ一家と繋がりのあるトップ・クラスのドラッグ・ディーラーだった。ある日、ジャックの手下が女性を連れてブティックにやって来た。連れの女性は「L」と「V」のゴールドの文字が模様になっている茶色の小さなクラッチ・バッグを持っていた。この時、ダニエルは初めてルイ・ヴィトンのバッグを目撃した。職人技巧に溢れた美しいバッグに魅了されたダニエルは、ジャックの手下に「この小さなバッグと同じデザインのジャケットはどうかな?」と提案した。そんな提案をしたものの、実際にどうやって作ったらよいのか全く想像がつかなかった。

この不意の約束を守るべく、ダニエルは一番良いスーツに着替えてベンツに乗り、リサーチのためにルイ・ヴィトンのお店に向かった。当時、ニューヨークはウォール・ストリートの金融街も裏社会のドラッグ業界も潤っており、ファッション業界もラグジュアリーな時代に突入。今まで名前を聞いたこともないようなルイ・ヴィトン、フェンディ、グッチといったヨーロッパ・ブランドが参入していた。

ルイ・ヴィトンの店に入ると店の空気が変わったように感じた。店内にいる黒人はダニエルだけで、ドアマンはダニエルから目を離さなかった。ルイ・ヴィトンの商品を観察していると、店内にはレザーのバッグ、ラゲージ、トランクのみでジャケットの生地に使えるようなものは無かった。隣のグッチの店に入ると、グッチも同じくレザーのバッグ、ラゲージ、財布とローファーしか置いていなかった。落胆してお店を出ようとした時、ガーメント・バッグが目に入った。ジャケットを作るのに足りそうな生地が使われていた。

ダニエルはグッチのガーメント・バッグ素材を使ったジャケットを初めて完成させた。ジャックの手下は出来上がったグッチのジャケットに満足した。そのジェケットを見たボスのジェームス”ジャック”ジャクソンもジャケットが欲しいと言ってきた。ハーレムのトップ・クラスのハスラーが、このジャケットを着たら、さらに多くの人がこのジャケットを欲しがるだろうと、グッチのお店でガーメント・バッグの在庫を全部買い占めた。店員は何が起こってるのだろう?と驚いていた。

ダニエルの予想は当たり、沢山の人がこのジャケットを欲しがった。しかし、毎週グッチのお店に行って、ガーメント・バッグを仕入れジャケットを制作するには限界があった。ジャケットを制作するのに十分な生地が無かった。そこで、グッチやルイ・ヴィトンがやっているように自分でレザーにロゴをプリントできないものか?と考え、レザーやプリント技術に関する本を読みあさり、実験をはじめた。


シルク・スクリーン技法をマスターし、自分でレザーへロゴをプリント!

研究の結果、中国由来のシルク・スクリーニングというプリント技法を学ばないといけないということが分かった。アメリカでは、1960年代にアンディ・ウォーホールがシルク・スクリーニングを広めたが、シルク・スクリーンで作ったTシャツが普及し始めたのは20世紀後半になってからだった。必要な道具を揃えて、自分の店にシルク・スクリーン台を設置した。目標は、ルイ・ヴィトンのポーチと同じ肌触りでレザーの上にプリントすることだった。レザーにプリントできる強力なインクを見つけるのも大変だった。当時は誰に聞いても知らず、最終的に見つけたインクは強力すぎてアメリカでの使用が禁じられていた。レザー職人のユダヤ人が色々教えてくれたが、彼も自分で実験をして強力なインクで肺の片方を失っていた。

シルク・スクリーンの技術が改良されてから、顧客が欲しがるどんなロゴでもレザーにプリントし、ジャケットでもジャンプスーツでも製造することが可能になった。グッチだけでなく、フェンディ、ルイ・ヴィトン、MCMも可能になった。

ブティックの評判はますます高まり、メディアの記者が店に押しかけるようになった。従業員を増やし、店舗を少し大きい隣のスペースに移した。店舗を拡大してから、新しいスペースに車のインテリア装飾品のスペースも設けた。当時は誰もやっていなかったし、富と権力を示す高級車は常にハスラーの一部だった。車の装飾品を顧客に制作する前に、試しに商品の宣伝も兼ねて自分の車でやってみた。チェリー・レッドのジープ・ラングラーを購入し、車にMCMの模様がプリントされた白レザーを装飾した。それをLL・クール・Jが気に入り、ダッパー・ダンのジープが「Big Ole Butt」のMVに登場している。

LL Cool J 「Big Ole Butt」(1989)

80年代のクラック・エピデミックでマーケットも拡大!

クラック・コカインは、ダニエルがブティックを開店してから数年の1984年までニューヨークには存在しなかった。しかし、クラック・コカインが全てを変えた。1986年に薬物乱用防止法が米国議会で可決されてから、1.7億ドルの予算が警察に投じられ、それが警官の蛮行や黒人の投獄の増加を促した。アメリカの刑務所人口は4倍に増え、コカインやヘロインが白人コミュニティでも売買されていたにもかかわらず、刑務所を埋めていたのは黒人とヒスパニックだった。ハーレムの街は暴力、ドラッグ依存症、黒人やヒスパニック男性の服役で破壊され、今までに前例のない人種差別的悪夢となり、すべての世代が痛手を負った。それと同時に、ダニエルの顧客がリッチになった

ダニエルはドラッグに関して自分なりに思うことはあったが、顧客のドラッグ・ディーラーたちの話には首を突っ込まなかった。ドラッグ・ディーラーの人脈を通したクラック・ビジネスの拡大は、ダニエルの洋服の評判をも拡大させた。ハーレムのディーラーがシカゴ、フィラデルフィア、ワシントンDC、バルティモアといった他の地域のディーラーと交流を深める時には、いつも誰かがダッパー・ダンの服を着ていた。ハーレムのドラッグ・ディーラーと同様に「その服どこで買ったんだ?」「ダッパー・ダンって奴の店さ」という会話が交わされ、ブティックの前に他の州のプレートをつけた車が駐車するようになった。


ヒップホップ文化黎明期の時代に突入!

ダニエルのビジネスは成長し、お店の一角をジュエラーやTシャツ・デザイナーと共有し、彼らの商品も売れるようにした。ダニエルが作れないイアリング、ベルトなどアクセサリー類を扱っていた。その中の何人かはダニエルのブティックでチャンスを掴み、その後ビジネスを成功させている。

そのひとりが、D・ファーグの愛称で親しまれていたダロルド・ファーグソンだ。当時10代だった彼は、カリスマ性とTシャツデザインの才能があり、その後ハーレムに<FERG 54>というショップを開店した。彼が得意なグラフィック・デザインを通して、ヒップホップにも多大な貢献をした。故アンドレ・ハレルのアップタウン・レコードやパフ・ダディのバッド・ボーイ・レコード のロゴを制作した。D・ファーグは2005年に惜しくも他界したが、彼の影響やレガシーは息子であるダロルド・ファーグソン・ジュニア=エイサップ・ファーグに引き継がれた。ファーグとは、お互いをアンク(叔父)とネフ(甥)と呼び合う仲だ。

新しい独創性がハーレム外からもやってきた。<SHIRT KINGS>というTシャツやスウェットにエアブラシでデザインするチームがクイーンズに現れた。当時の他の若者達のように、彼らはグラフィティに夢中だった。彼らがグラフィティをファッションに取り込む話はよくわからなかったが、ダニエルはシャート・キング・フェイドという愛称で親しまれていたエドウィン・サカサとパートナーシップを結んだ。ブティックの壁には彼のデザインを吊るした。それからフェイドとダニエルは一緒に仕事をするようになった。ダニエルのお店にくれば、ダニエルのグッチ・ジャケットが手に入り、そしてフェイドのグッチ風のグラフィティTシャツも買えたのだ。

<つづく>


<編集後記>

ブティック開店前のダッパー・ダンの人生も映画のように凄まじいのですが、自分で研究や実験をして、その道を極めてしまう「情熱」と「行動力」、クレジットカード犯罪や毛皮レザーのビジネスにしても「先見の明」を持っていたんですね。そして、のちに80年代のニューヨークのストリート・ファッションを席巻することとなる<ダッパー・ダン>と<SHIRT KINGS>という2大巨頭が、ダッパー・ダンのブティックで切磋琢磨していたとは!エイサップ・ファーグとダッパー・ダンの関係も、ただのハーレム繋がりではなかったんですね!

ダッパー・ダンの自伝には下記『マルコムX自伝』の言葉が引用されています。

かつてハスラーだった経験から、現実にアメリカでもっとも危険な黒人とは、ゲットーのハスラーたちだということを、どんな白人よりも、どんな黒人”指導者”よりもよく知っていた」 〜マルコムX『マルコムX自伝』より

最初はよく分からなかったのですが、ダッパー・ダンの人生を通して、この意味が少し理解できた気がしました。ということで、次回は、エリックB&ラキムや「Yo! MTV Raps」が登場します。お楽しみに!

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