ヒップホップ・ファッションの元祖!ダッパー・ダン驚愕のライフ・ストーリー【2/3】

ヒップホップ・ファッションの元祖!ダッパー・ダン驚愕のライフ・ストーリー【2/3】

ダッパー・ダンの自伝本『Dapper Dan: Made in Harlem: A Memoir』のまとめ続編です。前回は、ダッパー・ダンがブティックを開店し、ニューヨークのストリート・ファッションを席巻することとなる<ダッパー・ダン>と<SHIRT KINGS>という2大巨頭が、ダッパー・ダンのブティックで切磋琢磨していたところまでいきました。今回は、いよいよ80年代後期に突入します。

最初にブティックに訪れたラッパーたち

ブティックの規模と評判が拡大するにつれ、新しい顧客を獲得しはじめた。スター級のバスケ選手や金メダルをとったオリンピック選手といった近所のアスリートに服を作り始めたのだ。最初に店に来たラッパーを覚えていないほど著名人にたくさん服を作っていた。誰だったにせよ、ラッパー達はギャングスターやハスラーと一緒に来店したり、彼らから話を聞いてブティックにやって来た。本物のハスラーが営業しているブティックだと思われ、ラッパーが1人で店に来ることはなかった。ハスラーと交友関係があったランDMCの故ジャム・マスター・ジェイとエリック・B&ラキムが最初にお店にやってきたアーティストのうちの何人かだった。

当時のラッパーにとって、ダニエルの商品は高級ブランドのようだった。一番安い商品でも375ドルで、ほとんどの商品は1000ドル以上した。ハスラーやアスリートたちのように金の無かったラッパーはダニエルの商品を買うことができなかった。この頃、ヒップホップ業界は潤っていなかったので、ダニエルはラッパーの顧客を気にもとめなかった。

ERIC B&RAKIMのデビューアルバム『Paid In Full』

エリック・B&ラキムの音楽はよく知らなかったが、彼らが来店した時、ハスラーの顧客のほとんどがラップ好きだったので、店でもラップを流していた。個人的にはジャズ、R&Bやラテン音楽の方が好きだった。ラキムは高校を卒業したばかりだったが、大人びた”ソウル”を持っていた。彼の精神に共感し、すぐ仲良くなった。ラキムのようなラッパーが来店するようになってから、ラッパー仲間の輪が広がり、気付いた時にはたくさんの音楽関係者がブティックにいた。

顧客自身のアイデンティティが表現できるよう、ダニエルは服のデザインで協力した。エリック・B&ラキムがデビューアルバム『Paid In Full』のアルバムカバーで着用している服がそうだ。この時は、いつもの配色を無視し、黒の生地に黒のグッチをプリントして、アクセントに白地のレザーにグッチのモノグラム模様をプリントした。当時は<B-BOYルック>というジャージと太いシューレースが人気だったので、それを進化させ「B-Boy」を「B-Men」にしたようなデザインを考案した。ストリートの若者を最大限に表現しているような、特別でアイコニックなものになった。『Paid In Full』は1987年の夏にリリースされて大ヒットした。その後、ハスラーたちと同じように「その服どこでゲットしたんだ?」「ダッパー・ダンってやつの店さ」と、ヒップホップ業界でも口コミでブティックの評判が広がった。ラッパー達はダニエルの洋服を着れば、メジャーでヒップホップ印が押されるってことに気づき始めた。この時は、ラップが世界的に有名になるとは思ってもみなかった。

ラッセル・シモンズはフォーブスに掲載されるずっと前にブティックに来店し、ドラッグでハイの状態で女性店員をナンパしたから、店から追い出した。ファット・ジョーはブティックの2ブロック先のサンドイッチ屋で働いていて、店に来てはラップの話をしていた。アップタウン・レコーズの創設者でディディの最初の上司だった故アンドレ・ハレルは、後にメアリー・J. ブライジ、へヴィ・D & ザ・ボーイズやジョデシィを世に送り出したが、当時はアーティスト用の服を買う経済的な余裕がなかったため、服を貸し出した。

ラッパーの間で評判が広がってからは、ハスラーのように収入がない若い顧客にも対応しなくてはならなかった。宣伝としては良かったが、ビジネス的には全然ダメだった。一括支払いができないラッパーのために、先に頭金をもらい、出来上がった服をショーウィンドウでディスプレイすることにした。そのうち、「ショーウィンドウに展示しないでくれ」と言い始めるやつが出てきた。デザインを非公開にしたかったのと、事前に全額を払える金がないことを隠すためだ。厳密に言うと、テディ・ライリー、LL・クール・J、ブギー・ダウン・プロダクションは、今でもダニエルに借金をしている状態だ。

たくさんのラッパーがハスラーのライフスタイルを志していたが、その多くはハスラーから距離をおいていた。ドラッグ・ディーラーたちが店で買い物をしていると、ラッパーたちは、彼らの買い物が終わるのを待ってから入店してきた。みんなハスラーを怖がっていた。ラッパーたちを知るにつれて、彼らとの交友関係を楽しみ始めた。彼らはクリエイティブで本をよく読んでいたし、深い話もできた。今までドラッグ・ディーラーに服を売ってきたが、彼らとの時間が楽しかったわけではない。彼らはスポーツ、セックス、ハスリンの3つの話ばかりだった。ラッパーたちは宗教、リーダーシップ、神話の力といった深い話もできたので、繋がりを持つことができた。その中でも、一緒に居て楽しかったのがビズ・マーキーだ。ビズはクラブ明けの3時か4時頃に朝に店に来て、翌日までブティックで笑って過ごした。ビズの他にいつも一緒にいたのが、故ジャム・マスター・ジェイだ。彼とは良い友達になり、初めてレコーディングスタジオに訪れた時も彼と一緒だった。

ビッグ・ダディ・ケイン、ナイス&スムース、ザ・ファット・ボーイズ、KRS・ワンといったラッパーたちがダニエルのブティックに通いはじめてから、彼らのセレブ仲間がたくさん来店するようになった。ダニエルと親しかったパブリック・エネミーのチャックDとフレイバー・フレイブは、マイク・タイソンを連れて来てくれた。マイクは20代前半でパブリック・エネミーが大好きだった。当時、マイクのガールフレンドだったナオミ・キャンベルを連れて来たこともあった。

ダッパー・ダンが『Yo!MTV Raps!』に出演した際のコマーシャル映像

『Yo!MTV Raps!』に出演!

1988年の夏にはMTVで『Yo!MTV Raps!』というヒップホップ番組がスタートした。ランDMC、ビズ・マーキー、LL・クール・J、ボビー・ブラウンやソルト・ン・ペパーなどが出演していたが、この番組に出演していたアーティストは、みんなダニエルの顧客だった。『Yo!MTV Raps!』はヒップホップ音楽のアウトレットとしてだけではなく、ヒップホップ・ファッションにとっても重要な存在になった。そして、MTVがファブ・ファイヴ・フレディとエリックBと一緒にブティックに取材にやってきた。『Yo!MTV Raps!』はダニエルをより幅広いポップ・カルチャー界で活躍するチャンスをくれた。

しかし、番組出演のすべてが良かったわけではない。この時期にも、ハスラーやギャングスターの顧客はいて、レーガン大統領のエスカレートしたドラッグ戦争で逮捕されたドラッグ・ディーラーもいた。当局からブティックに書類が届き、彼らが店でどれだけの金を使ったのか領収書などを要求してきた。それが、本当に面倒臭かった。それよりも最悪だったのは、ストリートで起こっていたことだ。ギャングやハスラーのボスたちが刑務所で長い刑期を務めている間に、新世代のドラッグ・ディーラーが台頭してきた。近所の2−3人の仲間とチームを組んでドラッグ・ビジネスが簡単にできるようになった。そして、縄張り争いなどで喧嘩を始めたのだ。この頃から本格的な殺人事件が増え始め、誘拐も多くなった。大金を稼ぐドラッグ・ディーラーの若者は誰でも餌食になった。

アルポ・コート(ルイ・ヴィトン・シュノーケル・ジャケット)を着るフレンチ・モンタナ

防弾素材で作ったシュノーケルが大ヒット!

ダウンタウンのヘルズキッチンでセキュリティ会社をやっている男が防弾素材を販売する副業をしていた。強力なナイロン生地でNYPDが着用しているものと、ほぼ同じ素材だった。ダニエルは、この防弾素材を服に使えるかどうか試した。ギャング同士の喧嘩があると、いつも誰かがダニエルのブティックへ来た。実際に、防弾チョッキを銃で撃って試すこともあった。ブルックリンでよく襲撃されている男に防弾素材で作ったボンバージャケットを売った。ある日、彼は銃で撃たれた直後にブティックにやって来て「ボンバージェケットを着てた時に撃たれたんだけど!」と血の跡がついたTシャツをダニエルに見せ「もっと裾が長いコートが欲しい」と言ってきた。それから、フードのついた裾の長いパーカ、シュノーケルを作り始めた。シュノーケルには大きいポケットが2つあり、ハスラーたちはよく札束を入れていた。1つのポケットにはドラッグを入れて、もうひとつのポケットに金や銃を入れるヤツもいた。このシュノーケルは大ヒット商品になった。今まで作ったシュノーケルで一番人気だったのは、ドラッグ・ディーラーのアルポ・マルティネスに作ったもので、アルポ・コートと呼んでいた。

マイク・タイソンとミッチ・グリーンのストリート・ファイトのTVニュース報道
ダッパー・ダンのブティックも登場!

マイク・タイソンとミッチ・グリーンがブティックの前でストリートファイト!

ブティックの営業や服の生産など、すべてを自分で管理することが難しくなり、従業員は30人近くも増え、いつもなにかと騒ぎが起こった。生産ラインを管理していた甥が仕事中にウィードを吸ったり、娼婦を呼んでいたのだ。そんなこんなで、ストレスにやられた。従業員が給料を上げろと自分に立ち向かってきたとき、ストレスが最高潮に達し、従業員を全員解雇した。その後、結局全員戻って来た。こんな感じの騒ぎが次々に起こった。

ある日、夜中に甥から「マイク・タイソンが店の前でミッチ・グリーンを殴った!」と電話がかかってきた。急いで店にかけつけると、店の前に人だかりができていた。近所の悪ガキたちがマイク・タイソンがブティックに来店しているのを見て、ボクサーのミッチ・グリーンにストリート・ファイトをけしかけたようだった。このストリートファイトは、全米の注目を浴びた。新聞記事では事件の詳細が掲載され「ハーレムで夜中に買い物するヤツなんているのか?」「ハーレムで850ドルも金を使うってどういうこと?」「ダッパー・ダンって誰?」とダニエルの名前も世間に知れ渡った。この事件で、ダニエルはちょっとした有名人になった。

ファッション業界からの摘発がスタート…

当初、ファッション業界はダニエルのことを全く気にしなかった。ブランドのロゴを使っていたから、もしかしたら反感を買っているかもしれないと思ったが、リスクは承知だった。ダニエルは筋金入りのギャンブラーだった。

この頃のニューヨークはブランドコピー商品が街に溢れはじめ、特にチャイナタウンにはグッチやヴィトンの偽ブランド商品がたくさんあった。ファッション界でいう知的財産に関しては、まだまだグレイゾーンで、デザイナーたちは、いろんなカルチャーからインスピレーションを得て、サンプリングし合っていた。アンディ・ウォーホールはキャンベル社のロゴとスープ缶を表現したアートで利益を得ていたが、キャンベル社は彼のオマージュに対して感謝し、スープ缶を送っていた時代だ。

ダニエルの顧客はみんなダニエルがオリジナル商品を作ってると理解していた。ロクサーン・シャンテが彼女のアルバムカバーで着ている服は、ヴィトン、グッチやMCMのデザインにアップタウンのフレイバーを注入した。ダニエル以外に誰も作ってない商品だ。ジャズ・ミュージシャンがジャズのカバーをするのと同じことをファッションでやっていた。ブランドのロゴを使用していたが、完全なオリジナル・デザインで他に買える店は無い。つまり、チャイナタウンのブートレガーではなかったのだ。しかし、ブランド側はそうは思っていなかった。知的財産権が重要に扱われはじめ、マイク・タイソンの事件があってから、ブランドのレーダーに発見されてしまった。誰かが、ハーレムで許可無しにブランドのロゴが施されている服を作っていることを知ったのだ。ブランドコピー商品を作っていると思われていた。

ダニエルのブティックを最初に摘発したのは、ルイ・ヴィトンだった。ある日、武装した捜査員が店に入って来て、ラックにかけている服を全部持って行った。弁護士が書類を渡してきて、ルイ・ヴィトンのロゴ侵害のため服を押収すると説明してきた。彼らはヴィトンのロゴが入った服を全部押収し、ゴミ袋に入れて外に運んだ。ファーのついたシュノーケル、セーター、レザーのジャンプスーツ、帽子など全部持って行かれた。彼らは俺が時間と労力を使って作り上げた服をゴミのように扱っていた。自分の一部がもっていかれたような気分だった。

あんな手やこんな手で摘発に対抗!

ファッション業界からの摘発は、すぐに日常的なものになった。ダニエルは服を作り続けブティックを営業していたが、彼らは予告なしにやってきて裁判所命令の書類を手渡し、服を押収して行くのだ。ダニエルは「俺を止められるとでも!?」と戦闘態勢になり、平然と服を作り続けた。2回目にヴィトンがダニエルの商品を押収しようとした時には、ヴィトンのロゴがついた商品をすべて地下室に隠した。友達に犬を連れてきてもらい、彼らが地下室に入った途端、ピットブルで応戦した。突然、ヴィトンの弁護士は地下室を捜査しなくなった。しかし、この戦略は長く続かなかった。

ブランドからの襲撃がおさまるかなと思った時には、いつも別のブランドの奴等がやってきた。ヴィトンの次はグッチ、その次はMCMといった感じだった。MCMのやつらが店に来て、大きなバッグ9個分の服を押収した30分後、近所を車で走っていると、店に来たやつがガソリンスタドで休憩していた。彼らはダニエルから押収した服を仲間で山分けしていたのだ。それを目撃したダニエルは怒り心頭だった。次にMCMの奴らが来た時には近所の仲間を店に招き「商品を全部持って行け!」と伝え、服を皆にプレゼントした。仲間はMCMのロゴの入った服を着て、近所をあっちこっち逃げ回った。このようなブランドからの襲撃は、日々の騒々しいドラマの一部になっただけだった。

ダッパー・ダンの刺繍

日本製バルダンの刺繍ミシンに出会う

ある日、製造機材のコンベンションに行くと、キャデラックのようなサイズの刺繍ミシンに出会った。日本のバルダンという会社のものだった。ダニエルはファッション業界で刺繍が流行る前に刺繍について勉強していた。10年後にラルフ・ローレンがポロの刺繍のロゴを取り入れるまで、誰も刺繍のロゴはやっていなかった。ダニエルはバルダンの刺繍マシンを現金で購入した。一文無しになりかけた状態だったが、刺繍マシンを使って服を作れば今より最強な状態でファッション業界に戻れるとわかっていた。将来への投資だった。刺繍マシンを工房へ設置し、ダニエルは興奮を抑えきれなかった。誰もやったことがない新しいテクノロジーを試すのだ。

<つづく>


ということで、マイク・タイソンとミッチ・グリーンのストリート・ファイトの大々的なスキャンダル報道で、ダッパー・ダンの商品がファッション業界の目に留まり摘発がスタートしたとは、驚きでした。次回は、フェンディとの訴訟裁判や誘拐未遂事件などお楽しみに!

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