ファーサイド、テラス・マーティン、カマシ・ワシントンを育てたサウス・セントラルの音楽教師:レジー・アンドリュース

ロサンゼルスのサウス・セントラルにあるロック・ハイスクール。ここの音楽プログラムを受けた卒業生の60%がプロの音楽の道を進んでいる。そこには若い才能の育成に尽力したレジェンド音楽教師がいた。

ロサンゼルスの サウス・セントラル (サウス・ロサンゼルス)にあるワッツ地区は貧困、犯罪やストリート・ギャングによる治安の悪さで、2014年の時点でも人口の78%が高卒以下の教育しか受けられていない。子供達の中には、教育を受けたいというよりも、生き残りたいからという理由で学校に通っている生徒もいるほど。家から学校に通うだけでもリスクが伴うそんなエリアに、ロック・ハイスクール(Locke High School)という公立高校がある。(現アラン・リロイ・ロック・カレッジ・プレパラトリー・アカデミー)

ワッツ出身のTDE所属ラッパー、ジェイ・ロックはロック・ハイスクールの卒業生で、クリプスの縄張りであるこの学校に単独ブラッズとして通っていた。

テラス・マーティンもこの高校の卒業生で、2008年にDJドラマのミックステープ『ギャングスタ・グリルズ』シリーズでロック・ハイスクールにちなんだ「ロック・ハイ・ミックステープ」をドロップしている。(DatpiffでDL可能)


ロック・ハイスクールの卒業生

”ドロップアウト工場”とも呼ばれているこの高校の生徒の卒業率は、2010年代に入っても23%ほどだ。
しかし、ここの音楽プログラムを受けた卒業生の60%がプロの音楽の道を進んでいるという。

<ロック・ハイスクールの卒業生ミュージシャン>
▼パトリース・ラッシェン:70年代~80年代に一世を風靡したソウル/R&B歌手でピアニスト
▼故レオン・ンドゥグ・チャンクラー:「Bille Jean」等ジャズ、フュージョン、ポップス界で活躍したドラマー
▼レイモンド・パウンズ:スティーヴィー・ワンダーのバンドで活躍したドラマー
▼ジェラルド・アルブライト:ジャズ・フュージョンを中心に活動しているサックス奏者
▼タイリース・ギブソン:俳優としても活躍するR&Bシンガー
▼テラス・マーティン:グラミー賞受賞プロデューサー/マルチ・プレイヤー
▼ロナルド・ブルーナー・ジュニア:プリンスやケンドリック・ラマーとも共演を重ねた凄腕ドラマー(サンダーキャットが弟)
▼サンダーキャット:ブレイン・フィーダー所属ベーシスト

レジー・アンドリュース、フランク・ハリス、 ドナルド・ダスティン
Photo from TheUrbanMusicScene.com

これらのアーティストの成功は、ドナルド・ダスティン、フランク・ハリス、レジー・アンドリュースという三人の教育者の努力を象徴している。彼らは 数十年に渡り、サウス・セントラルの学校で多くの時間と自分たちお金を費やし、ミュージシャンの養成に力を注いできた。ドナルド・ダスティンは、ゴンパーズ・ジュニア・ハイスクールで音楽プログラムをスタートし、当時ロック・ハイスクールにいたフランク・ハリスとパートナーシップを結んで、ミュージシャンを養成する6年間の音楽プログラムを作り上げた。それが教育に有効であると証明され、ロサンゼルス統一学区の音楽プログラムに採用された。その後、ドナルド・ダスティンはロサンゼルス統一学区の全音楽プログラムの運営を任されるまでになった。レジー・アンドリュースは、ロック・ハイスクールに音楽教師として勤務し、 マルチ・スクール・ジャズ・バンドや受賞歴のあるマーチング・バンドを指導してきた。この三人の中でも、ロサンゼルスのヒップホップや現代ジャズ界隈のミュージシャンのインタビューでよく語られているのが、レジー・アンドリュースだ。

レジー・アンドリュースはピアニスト/ソングライター/コンポーザー/アレンジャー/音楽教師。リック・ジェームスやデバージをはじめ、60年代からジャズ、ソウル、ファンク作品に数多く携わり、ダズ・バンドの「Let It Whip」を作曲、カーマという自身のバンドやレジー・アンドリュース & ザ・フェローシップ名義で『Mystic Beauty』(『RARE GROOVE A to Z 完全版』に掲載)という作品をリリースしている。ミュージシャンとしても音楽プロデューサーとしても一目置かれる存在だった。(LAのシンガーソングライター、ニア・アンドリュースは、レジー・アンドリュースの娘)

レジーが教育の現場に足を踏み入れた理由は2つ。地元ワッツの公立学校に入学したとき、黒人の音楽教師がいなかったから。白人の先生でも異論はなかったが、なにか違うと感じていた。もうひとつは、ピアニストとして自分のキャリアを考えた時に「自分がハービー・ハンコックになるか、それとも将来のハービー・ハンコックを発掘して育てるか?」という考えがあったから。そして、将来のハービーを育てることを決意し、20代の若さでサウス・セントラルのロック・ハイスクールで音楽教師として働き始めた。

パトリース・ラッシェンと故レオン・ンドゥグ・チャンクラー

レジーがロック・ハイスクールで働き始めた頃に在学していたのがパトリース・ラッシェンと故レオン・ンドゥグ・チャンクラー。フッドでの3年間の教師生活で疲れ切ってしまったレジーはパトリースが卒業した年に教師を辞め、ハワード大学で教鞭をとっていたドナルド・バードの元で学ぼうとした。しかし、ドナルド・バードが大学を辞めてしまったため、そのままロサンゼルスに残った。その後、元生徒の故レオン・ンドゥグ・チャンクラーと共にダズ・バンドの「Let It Whip」を作曲し、パトリース・ラッシェンのファースト・アルバムをプロデュース。プロデューサー/ミュージシャンとしての活動の場と教育現場を行ったり来たりしながら、サウス・セントラルを中心にロック・ハイスクール、フレモント・ハイスクール、キング・ドリュー・ハイスクール、ロングビーチ・ハイスクールなど、計4つの高校で音楽教師を勤めた。

タイリース・ギブソンとDJバトル・キャット

タイリース・ギブソンは、2001年7月の Vibe誌で、父親不在だった彼にとってレジーが父親的存在の一人だったことを語り、西海岸を代表するヒップホップ・プロデューサー、DJバトル・キャットも中学校でレジーに教わっていたことをインスタグラムで明かしている。

「俺は子供達に音楽キャリアの扉を開き、成長できる環境を与え、沢山の人と知り合う機会を作っただけ。常に若い才能を探していた。彼らには音楽に関する知識を教えていたが、同時に俺も彼らから学んでいた」とレジーは語っている。

ファーサイド

レジーは高校での教師の他に、自宅を改造し、サウス・セントラルで生まれ育った少年少女たちの潜在的な芸術的才能を磨き追求させることを目的に作られたSCU(サウス・セントラル・ユニット)という課外プログラムの運営も行なっていた。その課外プログラムSCUから生まれたのがロサンゼルス出身のヒップホップ・グループ、ファーサイドだ。

ファーサイドの1stアルバム『BIZARRE RIDE II THE PHARCYDE 』(1992)

ブライアン・コールマン(小林雅明先生監訳)の『チェック・ザ・テクニーク ヒップホップ名盤ライナーノーツ集』のファーサイドのファースト・アルバム『Bizarre Ride II the Pharcyde』の章では、レジーについて下記のように語られている。


ラップの要素を全面に押し出すようになったのは、彼らがレジー・アンドリュースという男と関わるようになってからだった。この大いなる才能を秘めた、だが何の目標も持たない若者たちに対するレジーの影響力は絶大だった。彼はLAのサウス・セントラルで、この街で最も恵まれない地域に生まれ育った少年少女たちの潜在的な芸術的才能を磨き追求させることを目的に作られた、SCU(サウス・セントラル・ユニット)という急ごしらえの課外プログラムを運営していたのだ。


スリムキッド「俺が初めてJに会ったのは、奴の妹と付き合ってた男を通してだった。Jの家に行ってみたら、ヤツは(ローランド)808をバリバリ使いこなす達人だったんだ。J・スウィフトに出会う前、SCUに行きだした頃の俺たちのラップは、間違いなく全然別物だったよ。SCUは、レジーの家の一部で—彼の家は二世帯住宅みたいになっていて、片方にダンス・スタジオがひとつと、レコーディング・スタジオ用の部屋が二つあった。レジーは俺たちにしょっちゅうメシを食わせてくれただけじゃなく、練習用の機材やレコーディング設備を使わせてくれて、曲の書き方や構成の仕方も教えてくれた。彼はとにかく音楽に対して凄く目配りをしている人で、俺たちにもそういう意識を持たせるように仕向けたんだ」

*J・スウィフト:『Bizarre Ride II the Pharcyde』のプロデューサー

イマーニ「レジーがSCUを造ったのは、プロデューサーとして手がけたダズ・バンドの”レット・イット・ウィップ”で小金を儲けたからだ。SCUは、ハイスクール的なもんだったけど、俺たちはその時点でとっくの昔にハイスクールは出てたんだ、19かハタチぐらいでね。レジーが教えてくれたロック・ハイスクールは、LAの中でも一番タフな地域にあって、みんなほとんど希望なんか持てずにいた。そこでレジーが俺たちをロックのタレント・コンテストに出演させたのが、このグループの本格的なスタートになったんだ」

ブーティ・ブラウン「レジーは、A&Mレコードのハーブ・アルパートからも金をもらってたんだ。あれは要するに、レジーが伸ばしてやりたいと思うような、人並み外れた才能を持ってるキッズのための課外プログラムで、J・スウィフトはまさにそういうキッズの一人だったんだ、レジーの秘蔵っ子さ。フリースタイル・フェローシップのP.E.A.C.Eもロックに行ってた。レジーは凄い数のレコード・コレクションを持ってたから、俺たちはしょっちゅう彼の家のガレージの奥に分入っては、段ボール箱幾つもレコードを持ち出して、スタジオに持ち込んでたね」


テラス・マーティン

テラス・マーティンは2016年の10月のダウンビート誌のインタビューで、レジーについて下記のように語っている。

テラス・マーティン「俺の人生の中で1人だけ良い先生がいた。レジー・アンドリュースだ。彼は、ハービー・ハンコック、アース・ウィンド&ファイア、スティービー・ワンダーとかをよく演奏していた。放課後にいろんな学校のキッズを集めてジャズ・バンドをやっていたんだ。マルチ・スクール・ジャズ・バンドって呼んでた。そこで、カマシやライアン・ポーター、ロナルド・ブルーナー、トニー・オースティンと一緒に演奏していなかったら、サックス、トロンボーン、ドラムのこともわからなかったよ」

カマシ・ワシントンの父、レジ―・アンドリュース、カマシ・ワシントン、詩人のカマウ・ダエイウッド 
*Credit Awol Erizku for The New York Times

テラス・マーティンが語るように、レジー・アンドリュースは、近隣高校の音楽教師と連携し、各学校の優秀なプレイヤーたちを集めたマルチ・スクール・ジャズ・バンドを指導していた。そこで、高校生のカマシ・ワシントン、マイルス・モズレー、サンダーキャット、ロナルド・ブルーナー、トニー・オースティン、ライアン・ポーター、ブランドン・コールマン、キャメロン・グレイヴスといった現代LAジャズを代表する実力派ミュージシャンたちが出会い、レジーの元で学んでいた。

ケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』(2015)

ケンドリック・ラマーの2015年リリースのアルバム『To Pimp a Butterfly』のサウンド面を支えていたミュージシャンたちが、揃いも揃ってレジーの教え子だということを考えると、これまた凄い。

ドナルド・バードとジェラルド・ウィルソン

レジーは、ジャズ・トランペット奏者のドナルド・バードと西海岸が誇るジャズ作曲家/ビッグバンド・リーダー、ジェラルド・ウィルソンを自分のメンターとして挙げている。ドナルド・バードも80年代頃から様々な大学で音楽の教鞭をとり次世代ミュージシャンの育成に尽力した人物だ。レジーは、そんな先人達の姿を見て育ち、自らもミュージシャンでありながら、数十年に渡りサウス・セントラルという荒れた土地で若い才能を育てる活動に尽力した。

その結果が、70年代にはパトリース・ラッシェン、90年代にはファーサイド、2000年代にはタイリース、2010年代にはテラス・マーティン、カマシ・ワシントンやサンダーキャットである。ここで名前を挙げたミュージシャン以外にもレジーに影響を受けた者はまだまだ沢山いるにちがいない。

まさに、サウス・セントラルのコンクリートに咲こうとしているバラを育てあげた名手!しかも、花束が作れそうな数を育てあげた。そこには、レジー・アンドリュースという尊敬すべき素晴らしい教育者がいた。そんなレジーの姿を見て育ったミュージシャンたちも、そのうち次世代ミュージシャンの育成に力を注ぐようになり、時代やジャンルを超えロサンゼルスの音楽レガシーを引き継いでいくことだろう。


【おまけ】映画『フリーダム・ライターズ 』 (2007)

映画『 フリーダム・ライターズ 』(2007)のトレイラー

レジ―・アンドリュースで思い出したのが、ロサンゼルスはロング・ビーチの高校を舞台に、実在の英語教師とその生徒たちによるベストセラー本を基に、人種問題がはびこる過酷な環境に生きる若者たちと、彼らを思う教師のストーリーを描いた2007年公開の映画『フリーダム・ライターズ』。ロサンゼルスのフッドのキッズたちが置かれている様子がよく分かる映画なので是非観てみてください。

【出典/引用】
*Locke High: The Inner City Music Program that Wowed the Nation
*Locke High School renames music building for three former teachers
*Patrice Rushen and Other Alumni Honor Teachers at L.A.’s Locke High School for Music Building Dedication
*[Youtube]Tyrese Visits Locke High School
*Behind the Lens with Leroy Hamilton – Black Music Month 2012 with Educator Reggie Andrews
*Q&A with Terrace Martin: From Hip-Hop to Herbie Hancock
*Kamasi Washington, The West Coast Get Down, and The Indigenous Mind
*チェック・ザ・テクニーク ヒップホップ名盤ライナーノーツ集(単行本)
ブライアン・コールマン (著),小林雅明 (監修, 監修)

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