メンフィス発祥のストリート・ダンス『メンフィス・ジューキン』

メンフィス発祥のストリート・ダンス『メンフィス・ジューキン』

2013年2月にウェブ・マガジン『REV MAG vol.4 』(リヴィジョンマガジン vol.4)にて掲載したメンフィス発祥のストリート・ダンス『メンフィス・ジューキン』の記事を改めてYAPPARI HIPHOPで掲載いたします。

アメリカのヒップホップ・シーン全体でBPMの速度の低下やサウンドに変化があったように、その音楽にのって踊るダンス・スタイルも常に進化しています。近年、面白い動きを見せているテネシー州はメンフィス発祥の「メンフィス・ジューキン」をご紹介したいと思います。

近年のヒップホップの流行で見られた新しいダンス
2005年頃ぐらいから、メイン・ストリームに台頭してきた南部のヒップホップと共に、流行したダンスの種類として、曲の振り付けとして大流行したもの、地元のローカルに根付いてムーブメント化したものの、2つに分ける事ができます。アトランタのスナップ・ミュージックの台頭と共に流行した、2006年リリースのDem Franchize Boysの「Lean Wit It, Rock Wit It」、Unkの「Walk it Out」などがあります。シカゴのSoulja Boyが2007年にリリースした「Crank That」に関しては、それに付随する「Crank That Lion King」、「Crank That RoadRunner」「Crank That Super Mario」「Crank That Peterpan」といった曲とダンスがアンオフィシャルにリリースされ、日本でも主に六本木や横浜、福生といったエリアのクラブでダンスを確認する事ができました。このスナップ・ミュージックに付随する振り付けはYoutubeといった動画サイトで人々に広まりました。その後も、2008年リリースのGS Boyzの「Stanky Legs」、2009年リリースのFast Life Yungstazの「Swag Surfing」といった作品が振り付けと共にヒットしました。その他にも、ハーレム発のDJ Webstarの「Chicken Noodle Soup」、Cupidの「Cupid Shuffle」やV.I.C.の「Wobble」など、みんなで一緒に踊るダンスを重視した作品のヒットが多く見受けられました。上記に述べたようなダンス・スタイルは、曲の流行が終わるとともに廃れていきました。それとは別に、流行以前から地元のローカルに根付いてムーブメント化していたストリート・ダンス、流行と共に生まれそのまま定着していったダンスとして、ハイフィー・ムーブメントと付随したベイエリアはオークランド発祥の「ターフィン」(Turfin)、ブルックリン発祥の「ブルックリン・フレキシン」(Brooklyn Flexin)、ロサンジェルス発祥でスキニー・ジーンズと共に流行した「ジャーキン」(Jerkin)、メンフィス発祥の「メンフィス・ジューキン」(Memphis Jookin)等があげられます。アメリカ各地の若者達によって考案された新しいダンス・スタイルは数多くありますが、2011年〜2012年にアメリカのメディアなどで特に注目を浴びていたのが、メンフィス発祥の「メンフィス・ジューキン」です。


メンフィス・ジューキンの映像:Memphis Jookin Battle 2 – G-Nerd vs Lil Buck

「メンフィス・ジューキン」(Memphis Jookin)とは?
メンフィス・ジューキンは、1980年代頃から、テネシー州はメンフィスで独自の発展を遂げたメンフィス発祥の「ギャングスタ・ウォーキン」に付随するダンス・スタイルです。1990年代初期に起こったメンフィス・ヒップホップの音楽的な変化により、既存していたギャングスタ・ウォーキンの動きに「滑らかさ」と「伝統的なステップ」を加え、パントマイムやアイソレーションの要素を多く取り込んだものです。基本的な動作として、ステップ、パックマン(Vの字)とバック・ジャンプなどがあり、著名なダンサーとしては、チャールズ・ライリー(Lil Buck)、ダニエル・プライス(DPKOM)、テレンス・スミス(G-Nerd)、マリコ・フレイク(Dr. Rico)、ジョナサン・フォスター(Lil Black)といった人物がいます。ジューキンのダンス映像で、足の部分だけ映っていることが多いことからもわかるように、「足の動き」にフォーカスされたダンスです。ジューキンという言葉と、足の動きにフォーカスしている点から、シカゴ発祥のジューク音楽(Juke)を連想する方もいるかもしれませんが、ジューク音楽で踊るフットワーク(Footwork)とは異なり、2003年頃から、スリー・6・マフィア、ギャングスタ・パットといったメンフィスのアーティストのミュージック・ビデオで世間に露出し始めました。

「メンフィス・ジューキン」の原型「ギャングスタ・ウォーキン」
80年代からメンフィスに存在していたギャングスタ・ウォーキンというスタイルは、「G・ウォーク」(G-Walk)、「バック・ジャンプ」(Buck Jump )「バッキン」(Buckin)「ジューキン」(Jookin)、「チョッピン」(Choppin)とも呼ばれています。90年代にメンフィスで生まれたバック・ミュージック(Buck Music)と並んで生まれたダンス・スタイルで、キャピタル・D(Capital D)というストリート・ダンサーが南部のクランク・ミュージックで踊る新しいダンスとして考案したと推測されています。2000年代のYoutubeやMyspaceといった動画共有サイトの出現により、2006年頃から人々に知られるようになりました。


1993年 – G-Stylesの「Gangsta」という曲のミュージック・ビデオで、初期のギャングスタ・ウォーキンを確認できます。バウンス要素が強く、しばしばアクロバティックです。また、「Crank That」や「Walk It Out」と似たような動きも確認できます。

メンフィス・ジューキンのルーツとしては主に2つの説があるようです。1つ目は、80年代に、ロミオ、ウルフ、ハリケーンという3人組のメンフィスのアンダーグラウンド・ラップ・グループ、G・スタイル(G-Style)がニューヨークを訪れた際に、ブレイクダンスやポッピン、ロッキンといったダンスを目撃し、それらのスタイルを「歩く動き」と組み合わせて創作したというものです。2つ目は、ルイジアナ州はニュー・オーリンズの伝統的なパレード文化「セカンド・ライン」と密接な関係があります。ニュー・オーリンズのセカンド・ライニングは、メンフィスのギャングスタ・ウォーキンの別名と同じく「バック・ジャンピン」(Buck Jumpin)という名前で呼ばれています。ニュー・オーリンズでは、古くから「ジャズ葬儀」(Jazz Funeral)と呼ばれる伝統的な葬儀風習があります。教会などで葬儀を終えた後に、ブラス・バンドのゆったりとしたジャズ演奏を伴って遺族や友人達が棺を墓地まで運びます。儀式のクライマックスでは、棺を揺らすというよりは、バウンスさせて、死者に最後のダンスをさせ死者の人生を讃えます。棺が埋められた後、人々は踊りながらパレードして墓地から戻るという葬儀形式です。現代では、葬儀だけでなく冠婚葬祭といったイベント時にブラス・バンドを伴ってパレードをする習慣となっています。パレードの主要メンバーやブラス・バンドが、「ファースト・ライン」や「メイン・ライン」と呼ばれ、その列に続くグループを「セカンド・ライン」と呼んでいます。セカンド・ラインは、華やかな衣装を身にまとい、ハンカチを振り、パラソルを回しながら音楽に合わせて踊り、パレードを盛り上げるグループです。そこで踊るダンサー達を「バック・ジャンパーズ」(Buck Jumpers)、ダンス自体を「セカンド・ライニング」や「バック・ジャンプ」と呼んでいます。セカンド・ラインで踊るバック・ジャンパーズの歩きながら踊るダンスを見ると、バウンスして踊る動作や、時にアクロバティックな動作など、メンフィスの初期のギャングスタ・ウォーキンと似た動きを確認することができます。ルイジアナ州のニュー・オーリンズとテネシー州のメンフィスという2つの都市が、南部のバウンス・ミュージックの基礎となった重要曲、The Showboysの「Dragrap (Triggaman) 」を共有している音楽的な繋がりを考えても、両都市の密接な文化の繋がりをうかがう事ができます。ギャングスタ・ウォーキンは、当時のメンフィスのシーンで聴かれていた、新しい南部特有の「ベース/スネア/ハイハット」を特徴とする808ビートにマッチしていた新しいダンス・スタイルです。基本的にフリースタイルであるため、音楽や時代の変化と共に、他のダンス・スタイルの要素を取り込みながら進化し、ヴァリエーションも増えています。

全てのギャングスタ・ウォーキングの基礎となっているものが、元スリー・6・マフィアのクランチー・ブラックのスタイルを代表する「G-ウォーキン」(G-Walking)です。ギャングスタ・ウォーキングの基礎に、アニメーションの要素を加えた固い動きになっているのが「チョッピン」(Choppin)で、リキッドダンス、ロボット、ロッキン、ポッピン、グライディングやブレイクダンスの要素を加えたものが一番有名な動きで、当時の若い世代によって考案され、現在も、常に進化を遂げています。

メンフィスのギャングスタ・ウォーキンを観て連想されるのが、カリフォルニアのクリップスとブラッズによる「Cウォーク」や「Bウォーク」といったストリート・ギャング発祥のダンスです。人口の多くがアフリカン・アメリカンであるメンフィスでは、他のアメリカのインナー・シティのように、昔からストリート・ギャングが存在していました。1950-1960年代にシカゴで産まれたギャングスター・ディサイプルズ(Gangster Disciples)やヴァイス・ロード(AVice Lord)といったギャングのセットが、1980年代にメンフィスで確認されています。その頃から、アメリカ各地のストリート・ギャング同士によるドラッグや武器のビジネス取引が頻繁に行われ、ギャング・ビジネスの拡大と共に、メンフィスにもクリップス、ブラッズ、その他ストリート・ギャングのセットができました。メンフィスのギャングスタ・ウォーキンと、カリフォルニアのC-ウォークやB-ウォークといったダンスの動きに類似点が多いことは、こういったギャング・ビジネスによるストリート・ギャング同士の交流の背景から、文化的にも相互に影響を受け、それぞれの地域の特有のサウンドに見合った動きで発展したと考えることができます。事実確認はできませんでしたが、1983年のG-Styleの「Gangsta」のミュージック・ビデオでは、モノクロの映像の中で、しきりにメンバーの着ている服装の「青」が強調されているのも、彼らがクリップスのセットのメンバーである可能性が高いと考える事ができます。

映像で観るメンフィス・ジューキンの歴史


ニュー・オーリンズ伝統の「ジャズ葬儀」の様子
※映像の前編と後編を観るとわかるのですが、行きはしめやかに、帰りは賑やかに踊ってパレードするようです。


セカンド・ラインで踊る華やかなバック・ジャンパーズ


2003年 – Three 6 Mafia の「Ridin’ Spinners」ミュージックビデオ


2006年 – チャールズ・ライリー(Lil Buck)、ダニエル・プライス(DPKOM)、テレンス・スミス(G-Nerd)、マリコ・フレイク(Dr. Rico)、ジョナサン・フォスター(Lil Black)といった若手ダンサー達によって、80年代から存在していたギャングスタ・ウォーキンが再構築されていることが分かります。


2006年 – Three 6 Mafia の「Side 2 Side」のミュージック・ビデオでは、Lil BlackとLil Boboがダンサーとしてフィーチャーされています。


2007年 – 日本ではメンフィス出身の黒人天才のみなさんが「Gangsta Walk」のビデオをYoutubeにアップロードしています。


2007年 – Three 6 Mafia featuring Chamillionaire 「Doe Boy Fresh」のミュージック・ビデオ


2008年 – メンフィスのアル・カポネのミュージック・ビデオ「Buckin and Jookin」で、メンフィスの人々がストリートでジューキンを踊っている姿が大々的にフィーチャーされています。


2009年 – ジューキンのドキュメンタリー映画「Memphis Movement-Jookin: the Urban Ballet」が公開されました。

2010年 – ビッグ・ボーイをフィーチャーしたジャネル・モネイの「タイト・ロープ」のミュージック・ビデオではジューキンがメインでフィーチャーされました。 チャールズ・ライリー(Lil Buck)、マリコ・フレイク(Dr. Rico)が踊っています。

近年のヒップホップ・サウンドの変化で、更に進化したメンフィス・ジューキン

つま先立ちのスピン、つま先立ちで歩く動きなどから「アーバン・バレエ」とも呼ばれているメンフィス・ジューキンですが、スタイルの歴史を考察すると、90年代に見られたバウンス要素や粗雑な要素は年々弱まり、より滑らかで洗練されたものになっています。最新の動向としては、マイケル・ジャクソンのムーンウォークのようなスライド、フローティング、グライドの要素が追加され、よりいっそう滑らかな動きを追求しているようです。その背景として、南部のチョップト&スクリューという音楽手法を代表としたヒップホップ音楽のBPM速度の低下による遅いビートや、2011年〜2012年にアメリカの音楽トレンドとなった、メロウで幻想的なサウンドの雰囲気といった最新の音楽動向からの影響を大いに受けていると思われます。

2011年〜2012年のジューキン・ダンサーの活躍
このように洗練されたスタイルが、他の分野からも注目を集めているのか、2011年、2012年はメンフィス・ジューキンのダンス・スタイルが様々な分野でフィーチャーされ、芸術方面にも活躍の場を広げた年でした。その火付け役となったのがフリー・スタイルダンサーとして活躍しているメンフィス出身のチャールズ・ライリー(Lil Buck)です。地元であるメンフィスで生まれ育ち、ティーンの頃からストリートで日常的にジューキンを踊っていました。やがて、彼が習っていたヒップホップの振付師の先生からバレエを勧められ、奨学金を得てダンス学校で2年間バレエを学んだ経験を持つダンサーです。その他にも、ダニエル・プライスがブロードウェイ・ミュージカル「Hurt Village」でダンス演出家として参加し、メンフィス・ジューキンが起用されました。ダイエット・ペプシの新しいテレビ・コマーシャルでは、ロン・マイルズ(Ron “Prime Tyme” Myles)が出演しています。


2011年の4月にロサンジェルスで行われたワークショップで、リル・バックは、世界的なチェロの演奏家、ヨーヨー・マによる伴奏で、モダン・バレエの演目「瀕死の白鳥」をジューキングのスタイルで踊るという素晴らしいコラボレーションを実現しています。この映像は、多方面で話題を呼びました。


2012年には、マドンナのワールド・ツアーに参加するダンサーの選考イベントにて、リル・バックが選出され、同年2月5日に行われたスーパーボウルのハーフタイム・ショウでは、マドンナの「ヴォーグ」の演奏中に、彼がソロでメンフィス・ジューキンを披露しています。


同年、ギャップ(GAP)が行った秋シーズンのキャンペーン「Denim Moves You」では、リル・バックとメンフィス・ジューキンが大きく取り上げられました。


Hurt Villageのリハーサル映像


ダイエット・ペプシの2012年新CM


このように、ジューキンのダンス・スタイルが世間に多く露出した2012年ですが、ダンス・スタイルとトレンドが一致したという時代背景もうかがえます。 2011年に、Youtubeでアップロードされた1本のダンス映像が、日本を含む世界各地のメディアで大絶賛され話題になりました。日本のニコニコ動画でも人気があり「ダンスの凄い左のおっさん」と紹介されています。このダンス映像で、スクリレックス(Skrillex)やダブ・ステップの音楽をバックに超人的なダンスを披露しているのが、カリフォルニア州イングルウッド出身のマーキューズ・スコット(Marquese “Nonstop” Scott )というダンサーです。彼は、RemoteKontrolというダンス・クルーに所属しており、このダンス映像が話題になる以前から、アメリカのテレビ番組「アメリカン・ダンスアイドル」や「アメリカズ・ゴット・タレント」に出演するなど、高い評価を受けていました。彼について詳しく調べてみたところ、RemoteKontrolというクルーを結成する前に、「G-Style South」というメンフィス・ジューキンのクルーにも所属している経歴がありました。

※世界中で話題!超人的なダンスを踊る男性がすごい – NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2131760684232811701

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ブルックリン発祥の「ブルックリン・フレキシン」


スペース・ゴースト・パープが踊るメンフィス・ジューキン

Trinidad Jamesの「All Gold Everything」で踊るジューキン・ダンサー

まとめ
メンフィス発祥のストリート・ダンスが、芸術分野やテレビのコマーシャルといったメイン・ストリームの場で起用され始め、注目を集めています。滑らかな動きの要素を考えると、ブルックリン発祥の「ブルックリン・フレキシン」も活躍の場が広がるのではないかと思います。2012年に、スペースゴーストパープがメンフィス公演で、メンフィス・ジューキンを踊ってメンフィスに愛情を示したり、2012年にヒットしたUSクラブ・バンガーや、トリニダード・ジェイムスの「All Gold Everything」で踊っているジューキン・ダンサーなども見受けられ、最新のヒップホップ音楽同等に注目されるべきダンスだと思います。

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