WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.1

最近、世間の流れとは裏腹に、US西海岸の風が吹きまくっているということで…。近々ICE CUBEやWC,StonesThrow勢も来日ということで、西海岸HIPHOPを勉強してみるよ。LA在住のHIPHOPライター?でブラックパン サーのドキュメンタリー映画なども制作しているGregory“G.Bone”Everettさんによる記事などを元にDIGってみました。ラフに調べているので間違いや誤りなど、ご指摘頂ければ幸いです。あまり記事にされていないWEST COAST HIPHOP HISTORYですが、ニューヨークのオールドスクール時代と同じくもっと多くの資料や情報が世の中に出たらいいなと思います。


West Coast Jazz

Central Avenueという現在チャイナ・タウンやリトル東京がある辺りが、黒人経営のクラブやバーなどナイトライフの中心街で、ジャズのメッカ!!多くの有名な ミュージシャンがバーやホテルなどでLIVEなどで賑わっていました。黒人ミュージシャンは、白人客相手にハリウッドでパフォーマンスをしますが、黒人は ハリウッドのホテルに宿泊することは許されず、彼らはCentral Avenueに宿泊しパーティなどを行っていました。

1950年代 に、膨大な人種混在が起こった時には、多額の金を作り出し、それを彼らの間で回し始めていた黒人たちが白人たちにとっては脅威となった。そのため、市役所 や警察が一体となって様々な法律を可決し、ナイトライフ楽しんでいる人々は窮地に追い込まれたそうです。Westcoast Jazzなどの時代、第二次大戦後の話だねー、たぶん。

The Campbellock Dancers
60 年代には地元の公園やレクリエーションセンターに加え、家でのハウス・パーティーが大流行となりました。The Maverick’s Flat, Dootos, The Parisian Room, and the Hilltopといった新しい黒人経営のナイトクラブもできました。Trade Tech Community Collegeの若い学生であったDon Campbellは“The Campbellock”というダンスを創作して、それが大流行!!彼は、のちにThe Lockersと呼ばれるダンス・サークルを形成しPoppingやBoogalooといったダンスの原型を作りだしました。

1966 年には、Crenshaw Blvdという場所中心で、黒人経営のビジネスが始まり、The Maverick’s Flatというナイトクラブが黒人ビジネスマンのための第2のCentralAvenueとなりました。60年代~80年代のSOUL ,FUNK.R&Bアーティストは誰でもここでパフォーマンスを行い、LIVEがない時には、レコードをプレイしていました。このThe Maverick’s Flatというナイトクラブは、のちに西海岸HIPHOPとして発展するパーティ・シーンが始まった最も重要なクラブと言えます。

そのうち、生バンドはいなくなり、人々は新たにレコードプレーヤーでブギーするようになりました。誰 かがレコードをかける必要がありました。NYと同じように、PoppersをPOPさせるため、ラッパーにRAPさせるため、またギャングスタをWalk させるために、DJは音楽をコントロールし、パーティ文化の中堅となります。70年代中盤・後期には、ディスコの出現で、クラブのオーナーの雇われDJで はなく、自分のルールに従って音楽をプレイし、家でのパーティやピクニックなど特別なイベントをプライベート・ディスコティックに変身させるなど、あっち こっち移動可能な新たなタイプのモバイルDJが生まれました。


参考映像:80年代のコンプトンのダンサー
バックで流れている音楽も良いんですが、皆マイケルに影響ウケまくっていますね。(笑)

70 年代後期80年代初期、それらの若いDJたちはDJよりもダンス・プロモーターの方がお金が稼げることに気づき、Alpine Village, World on Wheels, Skateland U.S.A., The Convention Center, The Sports Arena, Veteran’s Auditorium, Cheviot Hills Park, The Long Beach Convention Centerといった会場や、その他多くの場所が第2世代のパーティシーンとなり、西海岸HIPHOPの誕生のきっかけを作ったのです。上記に挙げた会場 の他に、膨大な数のハウス・パーティやピクニック、ビーチ・パーティが開かれ、現場では、Ice T, Warren G, Snoop Dog, Ice Cube, DJ Pooh, King T, Big Boy & Fuzzy from KPWR, comedian Alex Thomasといった未来のラッパーやプロデューサーたちがパーティをしたりパフォーマンスをしていたのです。

参考映像:ドキュメンタリー映画 Breakin n Enterin
しょっぱな若き日のICE-Tが踊ってます。こういうダンスって中居君を思い出すよね。笑

80 年代前半のパーティ特有のLockingから派生したPoppingおよびBoogalooという2つのダンススタイルは、他のダンスと同様に人気があり ました。LockersやPoppersは、ドレスで着飾るスタイル、言語や文化それ自体がニューヨークのB-Boysと同位置にありました。 Freakinは人気のダンス形式で、DJはFUNKからR&B,Cha Chaのレコード、西海岸のDJ達がクラブ・ミュージック名付けた、プログラミングされたドラムとシンセサイザーによる新しいスタイルのR&Bま でいろんな音楽をプレイし、DJはパーティ・シーンと呼ばれるもののために、ステージをセッティングしました。

この頃、東海岸の方ではHIPHOPが眠りから覚めようとしていました!!!

WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.2

AKKEESTA

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