前回の WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.1の続きです!!最近、世間の流れとは裏腹に、US西海岸の風が吹きまくっているということで…。近々ICE CUBEやWC,StonesThrow勢も来日ということで、西海岸HIPHOPを勉強してみるよ。LA在住のHIPHOPライター?でブラックパン サーのドキュメンタリー映画なども制作しているGregory“G.Bone”Everettさんによる記事などを元にDIGってみました。ラフに調べているので間違いや誤りなど、ご指摘頂ければ幸いです。あまり記事にされていないWEST COAST HIPHOP HISTORYですが、ニューヨークのオールドスクール時代と同じくもっと多くの資料や情報が世の中に出たらいいなと思います。

このHIPHOP文化はRAPという形式でDJによって西海岸に紹介されました。信じがたいかと思うけれども、80年代初期の西海岸では、DJによって音楽 が提供されるパーティでしかRAPを聴くことができませんでした。西海岸のDJたちはサイドMCと、いつもパーティをロックしていましたが、東海岸の The Sugarhill Gang、Kurtis Blow、Sequence、Grandmaster Flash and the Furious Fiveなどの曲が入ってきたことによって西海岸の人々みんなRAPをしたがりました。80年代までに、60年代当時 10代だった子供たちがパーティ・シーンを引き継ぎ、若いDJ達はFUNK,ニューウェーブ、HIPHOPからスロージャム、スカまで様々な音楽をプレイ していました。Kool Hercはニューヨークで、彼らが“マッシブ“(巨大)と呼んでいた16個~32個のスピーカーのサウンドシステムでブロック・パーティをやっていました が、西海岸ではモバイル・ディスコ社のThe Music Peopleが、本当に”マッシブ“(巨大)な105個のスピーカーのサウンドシステムと共にUncle Jamm’s armyを送り出していました。

S50-Speakers
Uncle Jamms Armyのサウンドシステム
1985年にL.A. Sports Arenaで行われた
Uncle Jamms Armyのパーティ用にTHE MUSIC PEOPLEが提供した105個中50個のスピーカーの図!!
(Gregory EverettさんのThe Museum Of West Coast Hip-Hopから)

初期のDJ達は、曲をつなげてブレンドしていましたが、80年代の新たなDJたちはレコードで聴いたニューヨークのスクラッチ・スタイルに影響され、ミック スを極端に新しいものへ導きました。Joe Cooley、DJ Battlecat、Bob Cat、Blvd Rod、Tony GやJulio G、他のKDAYミックスマスター達によってスクラッチの混成フォームが為され、ミキサーと、ターンテーブル2台を持っている全ての子たちがニューヨーク で生まれたスクラッチ技術を発展させました。ミックス・テープはバスの車内や高校などで売られ、Greg Mackというラジオ・パーソナリティが当時ほとんど1人でこなしていたLA地元のラジオ局、1580 KDAYのおかげで、80年代初期までに、LAのストリートの人々みんながRAPミュージックを聴けるようになりました。



DJ Battlecatプロデュース CHICO & COOLWADDA / HIGH COME DOWN

DJ Battlecatさんは数々のGウェッサイ・チューンを手掛けておりますな。
Julio GさんはサイプレスのDJをやっているようです。

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Roger ClaytonによるUncle Jamm’s armyは紛れもなく今までで一番成功したダンス・プロモーション・チームで、The Egyptian LoverBobcatBobcatt And The California Catt Crewと いうチームには、LAのスポーツ・アリーナからロング・ビーチ・コンベンション・センターまで5000人のフォロアー(支持者)がいました。 Spectrum SoundsとOuter Limitsは主にアジア系のオーディエンスを賄っており、Ultra Wave Productionsは月に2回、平均で2000人の10代の子供たちを引きつれGeneral Lee、Rock BottomそしてBlvd RodといったDJとVeteran’s Auditoriumという場所でヒップホップ・タレント・ショウを開催していました。


World Class Wreckin Cru – Surgery
1982年の作品です。この映像の中で、Dr.Dreどれかわかりますか?
Surgery(手術)という曲です。それで、ドレ先生なんですかっ!?

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ジャケでも手術してます!!! 一番左がDre先生です。

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プロモーター兼レコード・プロデューサーのLonzo、Dr. Dre がいたWorld Class Wreckin’ CruはEgyptian Loverやthe L.A. Dream Team、Rapper’s Rap Group、Ice T、 Rodney O and Joe Cooley、その他数多くの人たち共にEve After Darkというクラブでスピンしていました。彼らはハイブリッドな混成HIPHOPを押し出し、それはテクノ・ポップ、マイアミ・ベース・サウンドや後のギャングスタ・ラップとして急速に発展しました。

そのEve After DarkというLonzoさん が所有していたクラブが重要っぽくて、多くのラッパーやDJにショウケースできるチャンスを与えていたようです。そのクラブでDr.DreやDJ Yellaが頻繁にDJをするようになり、Lonzoさんが彼らとWorld Class Wreckin’ Cruを結成したそうです。World Class Wreckin’ Cruのファースト・シングル”Slice”は、Eve After Dark裏の小さなスタジオでレコーディングされたんだって。

この時代の流れを通して、N.W.A.やThe Chronicを聴くと、これまた違って聴こえますね!

ということで、WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.3 へ!

AKKEESTA

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