WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.1WEST COAST HIPHOP HISTORY pt.2に続き、西海岸HIPHOPの歴史(オールド・スクール)最終章のpt3です!!歴史といってもギャングスタ・ラップ以前の流れを一通り見ただけですけども、ちょっと、おっくぅになってきたのは確かですけでも今回写真とかあまりないっす!!

DJ、 ポッピンやブレイキンのダンス・クルー、ワナビーなラッパーが毎週末のように現れました。また、黒人のモッズやルッド・ボーイのシーンが生まれ、彼らは Vespaのスクーターでパーティへ向かい、SKAミュージックをリクエストしました。イケイケ(Nastyな)男の子や女の子たちはPrinceや Vanity 6、はたまたMorris DayやThe Timeの真似をしていました。それらは14歳から25歳くらいの子たちで、ティーンエイジャーが大半でした。80年代中盤には、West Coast Artistsなどの西海岸のグラフィティ・クルーが出現し、西海岸HIPHOPに4つ目の要素を加えました。

素晴らしく訓練されたスト リート・プロモーション・チームは高校や大学、モール、ベニス・ビーチやラジオ広告、他のダンス・プロモーターの会場など、計算されたエリアでポスターを 貼ったり、フライヤーを配っていました。この行為は、時々プロモーター同士のビーフを招き、その競争はしばしば肉体的な衝突を引き起こしました。モバイ ル・ディスコのパイオニア達はかろうじてLAや近隣にパーティ・シーンに必要なサウンドシステムを提供しました。移動可能なモバイルDJは新しくリリース されたレコードや特別なリミックスを手に入れる必要があり、それがLAで最初のImpact Record Poolと いう黒人所有のレコードプールの形成に至りました。会員になったDJは、オーディエンスの反応から曲を評価する代わりにレーベルから直接事前にレコードを 受け取ることができ、レコード会社はLAでのパーティ・シーンの流行に目を付け、それを利用する方法を見つけるために、その文化を研究しました。昔の Central Avenue時代のように、これらの若い黒人企業家たちはとてつもない大金を作っていました。

同時期に別の現象が起こります。Crip,Blood,メキシコ系、アジア系のギャングが、今までになく急増しました。80年代のコカインの蔓延によって得たお金を背景に、キラキラしたオモチャ、 ジュエリー、車や洋服で、パーティ現場にいた若者たちに影響を与えました。たやすく影響を受けたHIPHOPは『ギャングスタ』となり、家でのハウス・ パーティやDJがドライブ・バイのターゲットとなりました。メディアによって『ドライブ・バイ』と報道された殺人事件が初めて起こったのはHooverと 54番地のハウス・パーティでした。パーティとギャングの現場が絡み合うようになり、人気のDJやプロモーター、ダンサー、ラッパーの一部はCripsか Bloodsのギャング・メンバーでした。ただ流行に乗ってパーティやダンスをしていたウェッサイのクルーさえもが、ストリート・ギャングになってしまい ました。

Olympic auditoriumで1580 KDAYによって主催されたパーティで、Kurtis BlowやL.L. Cool Jといった、当時最新のニューヨークHIPHOPアーティストがパフォーマンスをしたとき、そこではThe Rollin 60 Neighborhood Cripsというストリート・ギャング(Nipsey Hussleの所属先です)約50人が「60 CRIP」と描かれたスウェットTシャツを誇り高く着こなし、セキュリティを含む群衆の中、色んな人の上で体を揺らし、足を踏みならしていました。 Long Beach Convention Centerで行われたUncle Jamm’s Armyのパーティでは、パーティに来た人が撃たれ亡くなるという悪名高き事件が起きました。L.L. Cool J がWorld On Wheels skating rinkでパフォーマンスした時には、L.L. Cool Jが赤いスーツを着ていたためにCripsに攻撃されました。the Hollywood Palladiumでは、Tone LocクルーとサモアのRAPグループB.O.O.Y.A. Tribeがビーフしていたことが原因で大きな喧嘩と銃撃戦が起こりました。

Spectrum Productionsによって主催され、主にアジア人集まったパーティでは、殺人事件が起きました。また、Culver CityのVeteran’s Auditoriumで行われたメキシコ人のウェディング・レセプションでは、Ultra Waveというクルーが音を出していたとき、人が刺されるという事件が起こり、余儀なく退散という事態になりました。ちなみに、Ultra Wave主催のパーティではこのような事件が起こった事はありませんでした。LAでパーティするのは全く安全ではありませんでした。特に、若い人種的にマ イノリティの子達にとっては全く安全ではありませんよ。パーティ会場は25歳以下の子たち、特にマイノリティの子たちには会場を貸し出されないようになり ました。そのような子たちがパーティをするとL.A.P.D.や消防隊がかけつけ、パーティを強制終了させました。

移動可能なモバイルDJ、大きなサウンドシステム、公園でピクニックという楽しい日々が終わったのです。
プ ロモーターは酒販売ライセンスを持つクラブに移り、21歳以下の子たちや10代の子供達は週末の夜にパーティできなくなりました。一部のプロモーターは 21歳以上のオーディエンスに集中できましたが、10代のシーンは死んでしまいました。The Mobile Disco Crewsというパーティ・シーンの中堅で、はじめて西海岸HIPHOPを表へ出したシーンが、もう少しで消え失せるところでした。

MTV が始まった時、一番最初に流れた曲は『Video Killed The Radio Star』(ビデオがラジオ・スターを殺した)でしたが、皮肉なことに、ギャングがLAのパーティ・シーンを潰しました。しかし、N.W.A, Dr. Dre, Ice T, Ice Cube, Snoop Dogg, Tupac, The Game, The Liks, King T, Warren G, The Dog Pound, Too Short, E-40, 213, Nate Dog, Jayo Felony, The Outlawz,Tray Deeといった西海岸のアーティストやCripsやBloods、世界中のサグなラッパーやギャングスタ達が自分たちのキャリアをスタートさせることがで き、西海岸のギャングスタ・ラップはBIGGIE、Jay-Z、50 Centといったラッパー達にも扉を開いたのです。

ということで、西海岸ギャングものやHIPHOPモノの映画は色々ありますが、中でもこの映画オススメ!
ストーリーもそうですが、サントラがMassiveAttack、DJ Shadowなどドープです。
こういう映像結構好きなんだけど、とかとか意味深な色味に注目してみると面白いかも。

ということで、Gregory“G.Bone”Everettさんの記事を訳してみましたが面白かった。
ブ―ヤ―トライブとか久々に耳にしたし…笑
この後は皆さんご存じのG-RAPの時代に突入したのです。

では

AKKEESTA

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