ニューヨークはブルックリンのヒップホップ・レジェンド、DJ スクラッチ先生!故ジャム・マスター・ジェイを師と仰ぎ、Run DMC、EPMD、Jay-Z、P DiddyのバックDJとして活躍。最近では、昨年BETで放映されていたDJリアリティ番組「Master of The Mix 」で見事優勝!NYアンセムとして有名なバスタ・ライムスの「New York Shit」を代表とするプロデュース業、DJ業の他、多岐に渡り20年以上活躍しているDJ JAM MASTER SCRATCHにYHH突撃インタビュー!自身のサイト「Scratch Vision」への想いや、ヒップホップについてたっぷり語って頂きました。

– 今回のジャパン・ツアー、オーディエンスの反応はいかがですか?

ジャパンツアーは最高さ。いつも温かい歓迎をしてくれるぜ!

– 日本など海外ツアーでは、セットやルーティーンなど普段のものと変えますか?

どこへ行ってもオーディエンスは常に違うから、俺はいつも異なるプレイでアプローチをするよ。同じ会場で2夜連続プレイするとしても、オーディエンスの雰囲気やエナジーを読んでプレイをするのさ。例えば、先日の川崎でのプレイはロックで始めた。俺の前のDJが90年代ヒップホップをたくさんかけてただろ?同じことはやりたくないから、一度オーディエンスを別の空間へ持って行ってヒップホップに連れ戻したんだ。

– もう20年以上、ヒップホップ音楽業界の現場におられますが、これだけ長いキャリアを保つ秘訣は何ですか?

オリジナリティ。DJは山ほどいっぱいいるし、みんな同じことをして、同じ曲をかけるだろ。例えばマイケル・ジャクソンをプレイするにしても、いつも同じ曲でそっくりそのまま同じセットだったりね。10年~20年以上もキャリアが続いているアーティストは世の中の変化に合わせて変化し続けている。その激しい変化の中でも、自分のアイデンティティを守り続けているのさ。

– 今までのキャリアの中で「最も幸せなヒップホップ的瞬間」は何でしたか?

沢山ありすぎて俺は幸せ者だな。俺の最良のヒップホップ経験は、家でテレビを見ていた時に起きた。第1回BETヒップホップ・アワードでグランドマスター・フラッシュが「I AM HIP HOP Icon Award」を受賞したんだ。彼がステージ上でスピーチを始めて、当時大勢いたDJの名前を挙げて礼を言い始めたんだ。感謝の意を込めてね。その時、彼が俺の名前を言ってくれた。その瞬間、自然と涙が流れ落ちてきたよ。俺がDJになったのは彼のおかげだから。彼がいたから今の俺がいる。彼の人生で最高の瞬間のひとつが、俺の人生で最高の瞬間だった。

– 今までのキャリアの中で、ヒップホップに関する「最も悲しい瞬間」は何でしたか?

ランDMC(Run-D.M.C.)のDJ、ジャム・マスター・ジェイが亡くなったときだ。

– 2009年に自身主催の「Scratch Vision」というオンラインのライブビデオストリーミング番組/DJ向けSNSサイトを開設しました。DJやプロデュース業に加えて、このプロジェクトを始めた理由を教えてください。

俺は2007年からiTunesでポッドキャストをやっていたんだ。ニューヨークのラジオ番組に出たいという想いでさ。でも、ニューヨークのラジオ局のシステムや権力のある奴らは自分たちより優れているヤツらを傍に置きたくない感じで、俺を出演させてくれなかった。そういった状況への不満からかな。同時に、当時は音楽も悪い方向に向かって変化していた。大手のラジオ局ではDJミックス番組が終了した。DJミックス番組は午後9時以降にDJが好きな曲を自由にプレイしていたんだ。だけど、2006年から2007年ぐらいにかけて、それさえもプログラム化された。それが同じ音楽や曲が一日中流れている理由だよ。ラジオ局はリスナーに見切りをつけ、お金や広告の事ばかり。もはや人々や音楽のためのものではなくなった。俺はラジオ局で変化を起こすために自分の意見を言う事もできない。だから、俺はインターネットで自分のポッドキャストと映像ストリーミング番組を始めたんだ。

– 2007年に、既にライブビデオストリーミング番組をやっていたんですね。

そうなんだ。でも、2007年当時は高速インターネット回線が普及してなくて視聴者が凄く少なかったよ。その後、2009年にアメリカ政府がアメリカ全土をブロードバンド化して「今ならまたビデオストーリミングやっても大丈夫だ」と思ってScratch Visionを開設したんだ。俺はゲストDJを呼んで皆がワクワク聴きたくなるようなラジオ番組を復活させたかった。映像ストリーミングに関しては、BETのRapCity、MTVのYo MTV Raps、Video Music Boxのようなものを復活させたかった。素晴らしいDJが、政治的要素の無い素晴らしい音楽を流すようなラジオ番組、最高のヒップホップ・テレビ番組を復活させたかった。俺はそれら全ての要素を一体化させた。それがScratch Vision。

– 「Scratch Vision」ではDJジャジー・ジェフ、DJレッド・アラート、グランドマスター・フラッシュ等をゲストに迎えMIXショーをやっておられます。オリジナルのヒップホップ文化を守ろうとしている印象でしたが、それを意識していますか?

綿密な計画を練って始めたプロジェクトだけど、番組に出演してくれたレジェンド達に関して言えば、特にこれといった計画はなかったんだ。Scratch Visionが知られるようになって、彼らが「俺はいつScratch Visionでプレイできるんだ?」って俺に言ってきてくれた。彼らも番組に出てプレイできることを知っているしね。彼らは俺に対する純粋なリスペクトから、番組に出たりScratch Visionのメンバーに登録してくれた。友人関係ももちろんあるけど、彼らはDJ文化の伝統を維持するために俺がやってることに理解があって、リスペクトしてくれているんだ。

– 間違いないですね!

文化を守って、若者にヒップホップの歴史を伝える媒体が無いだろ?だから、俺がやっているんだ。Scratch Vision以外に、若者にヒップホップの歴史を教えているテレビ局やラジオ局、インターネット媒体は無いと思うんだ。もちろん、俺は全体の小さな役割を担っているだけ。でも、その小さなパートが若者へ与える影響は大きいと思っている。パソコンの前に座って、グランドマスター・フラッシュのDJプレイを観る。グランドマスター・フラッシュがターンテーブルのスリップマットをどう生み出したのか語っているエピソードを聞く。そんな機会ないだろ?大手のメディアは彼らの存在をヒップホップの歴史教科書から消そうとしているからさ。俺はただ自分の役割をやって、それが、どんどん広がっているんだ。

– 最近のDJ達を見ていて、彼らに欠けているものは何だと思いますか?

ヒップホップの歴史的な情報が足りないよ。DJに限らず、建築家でもシェフでも、どんな分野でも同じ事が言える。その歴史を知らない限り、上達はありえないよ。例えば、最近の若い子達はテレビやラジオから得た情報しか受け取っていない。そういった状況で、MCとして才能のあるヤツもいるけど、ラッパーはリック・ロスしか知らない。リック・ロスをディスしている訳じゃないんだ。俺が言いたいのは、彼らはNas、Big Daddy Kane、Rakim、Kool G Rap、KRS ONEやLL COOL JといったMCについて知らないってことさ。リック・ロスに影響を与えたMC達を知らない。DJに関しても同じさ。彼らはQ-Bert、Roc Raidaについて知らないだろ。DJ Scratch、GrandMixer DST、Grand Master D、Whodini、Barry B.、Chill Will、Doug E. Fresh、Mix Master Ice(UTFO)、CUT MASTER D.C.、DJ Cash Moneyといった今存在しているスタイルを築き上げたDJ達について知らない。BETやラジオからそういった情報は受けとれないから。最近も言ったけど、テレビが俺たちをダメにさせ、ラジオが俺たちをダメにさせ、ScratchVisionしか残ってないと思うぜ。

– あなたがDJとして過去に手に入れることができなかったけど、最近のDJが手に入れているものは?

最近のDJたちは曲の音源を大量に手に入れることができるよね。セラートがあるから。多くのDJがノートパソコンに1万曲ぐらい入れているけど、レコードは1000枚も持ってないね。

– それはもったいない面のひとつですよね。レコード掘ったり、ラベルのクレジットから情報を知るのは意外と楽しいですけどね。

そのこと自体知らないんじゃないか?曲を大量に入手できることは利点でテクノロジーも素晴らしいと思う。セラートを使っていてマイナスな点は、レコードでしか得ることができない音楽知識を得ることが出来ないことだ。それから自動的に他の可能性から自分自身を除外してしまうことだ。例えば、クラブでトップ40の曲をプレイすることはできる。大箱のクラブでいつもDJがかけるマイケル・ジャクソンの曲ではなく、小さなラウンジでレコードの素晴らしい音質で、古い名曲を聴きたい人たちにプレイするチャンスを除外してしまっている。

- あなたは7インチレコード(45)の鬼掘り師の1人ですが、魅力はなんですか?

7インチの魅力は・・・音質だよ。両面1曲ずつだから音質が最高だ。あと、60年代の作品はアルバムは出さずに7インチのレコードだけリリースしているようなアーティストがたくさんいて、そんなレコードは宝物だぜ。大量のレコードを所有しているけど、俺はコレクター兼DJだ。普通のレコード収集家のようにレコードを集めるけど、俺はそれらのレコードをクラブで流すんだ。

– ヒップホップ、またはDJ活動があなたの人生を救ったという経験はありますか?

もちろんだ。フッドで育ったっていうアーティストの話は聞き飽きているだろうけど(笑)。俺もフッド育った。ヒップホップは確実に俺の人生を救ったと思う。そして、俺の人生を拡張してくれた。子供の頃は、悪ガキでブルックリンでも最悪のプロジェクトのひとつに住んでたんだ。その頃は悪い事もやった。幸い、悪事から足を洗うチャンスがあって、スポーツを始めたんだ。俺はバスケットボール、フットボールと野球をやるスポーツマンだったんだぜ。もし、俺がそのままスポーツ選手の道を歩んでいたら、俺のキャリアは20年前に終了してただろうな。90年代初期に出てきたスポーツ選手で今も活躍し金を稼いでいるのはマジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダンとラリー・バードとか、ほんの一握りの人間だ。その点、ヒップホップは俺のキャリアを拡張してくれた。もう26年もやってるんだぜ。俺は20年前に自分が生み出したことをやって、今でも金を稼いでいる。スポーツ選手だったら、こんなことは絶対起きない。今自分が稼いでいる収入なんて絶対に手に入らなかったと思う。Run DMCとツアーを回るチャンスが巡ってきて、それが俺のキャリアを拡張したんだ。

– あなたにとってヒップホップとは?

俺にとってヒップホップは俺の人生のすべて。そして、世界一の文化だ。昔は違った。ヒップホップは、アンダーグラウンドな文化で、今のような状況になるとは誰も信じていなかった。今じゃ世界どこに行ってもヒップホップ文化を垣間見るね。ヒップホップが嫌いな人でも、テレビや広告で彼らの生活の中に自然と入ってくる。俺にとってヒップホップは、世界一の文化であり、宗教だ。

– 日本のファンやDJにメッセージをどうぞ。

最近俺を知ったファン、初来日の時から俺をサポートしてくれているファンも、みんなからの応援に感謝しているぜ。日本のDJのみんな、グランドマスター・フラッシュやジャム・マスター・ジェイが俺に伝えたように「この文化を継続させること」を実践してくれていてありがとう!アーティストは世界を回るとあちこちで「ここは大好きな都市だ」とよく嘘を言うだろ。でも、俺にとって日本は世界の中で、本当に大好きな国なんだ。なぜなら、俺たちが生み出した文化をちゃんと受け継いでいるから。バーに行けばレコードがある。日本は芸術、オリジナルのヒップホップ文化を受け継いでいる。2つのターンテーブルと1つのマイクをね。だから、感謝している。アリガトウ!


DJ JAM MASTER SCRATCH

http://scratchvision.com/
https://twitter.com/#!/DJScratch
http://www.facebook.com/JamMasterDJScratch

DJ ScratchはFavorite DJ’s favorite DJとして約20年以上この音楽業界に君臨している。オールタイム・グレイテストDJであり、2006年には、Source MagazineのHIPHOPアイコンに選ばれた。Scratchは、EPMD、Jay-Z、P DiddyのバックDJとしてシーンを支え続けてきた。ここ何十年もの間、EPMDと共にオーディセンスを湧かせ続け、また彼の有名なDJルーティーンは、Big Daddy Kaneの”Friday the 13th Imma Play Jason”のパートで、ホッケーマスク(ジェイソンマスク)を被ってオーディセンスを湧かせる事だ。15年以上、様々なDJルーテーィンとトリックのみで活躍しているのは彼だけであろう。DJ Scratchは最もリスペクトされている、エキシビション、ツアー、クラブDJである。1988年 New Music Seminar Battle for World Supremacy DJ Championshipで優勝した後、RUN DMCのRun’s House World Tourに参加。Jam Master Jayと親交を深め、その後のツアーのパフォーマンスはScratchに一任したほどであった。ScratchはJMJに対し、RUN DMCのライブで必要なスキルを全て教え、その見返りとしてJMJは、当時バックDJを探していたEPMDをScratchに紹介。後は歴史の通りである。Scratchは、Hip Hop Hold Em、Uptown Comedy Club、B.E.T.のRap City, TheBasementといった歴史的HIPHOP番組での音楽担当を任せられるまでとなった。また、Juice、The Original 50 Cent、Backstage、Fly By Night、Rhyme & Reason、SpikeLeeのBamboozledといった映画にも音楽を提供し、彼の名前が一般的に知られるきっかけとなった、コカコーラのコマーシャルをプロデュース、出演を果たしている。DJマスターの称号を得たScratchは、次第にプロデュース作業に没頭するようになる。NYアンセムの NY Shit、Rampage、Ill Bomb、50 Shot Ya等のHIPHOPクラシックスを次々とプロデュース。これらは現在でもフロアーを湧かせ続けている。その功績は、グラミーにノミネートされ、40ものゴールドもしくはプラチナムディスクを獲得。DJ Scratchがクレジットされているレコードは三千万枚売れているという。若いDJに対し、Scratchは「両足を動かす前に腕を動かせ」と教える。それは時間が許す限り、ミックスやブレンドの基本技術を叩きこみ、その後スクラッチやカットをしなさいという彼なりの教えである。「DJを始める全ての DJに捧げる、Scratchを見習え」と言われているほどのDJマスターは、決して驕る事なく今日も練習に励んでいる。

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