スクールボーイ・Qって誰?

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先日、スクールボーイ・Qのアルバム『Habits & Contradictions』が奇跡のCD化&国内盤化で祝リリースされましたね!彼のアルバムが出た頃は、TDE仲間のアブ・ソウルのアルバムにどっぷりハマっており、それどころではなかったのですが、Qちゃんってどんなラッパーなの?っていう事で、Complexの記事「Who is Schoolboy Q」を簡単に日本語でまとめてみました。ちょっと遅いですが、バックグラウンドを知ってからアルバムを聴きなおすと、これまたオツでございます。まだスクールボーイ・Qを知らない方も、ちょっとでも興味を持って頂けたら幸いです。

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L.Aで育ち、フットボールに親しむ

俺はロサンジェルスの51丁目で育った。ステイプルズ・センターと南カリフォルニア大学のキャンパスから数分のところだ。俺の少年時代は良かったよ。欲しいものは何でも手に入ったし。お婆ちゃんが俺の面倒をみてくれた。超貧困から抜け出してきたようなラッパーじゃない。裕福でもなかったけど、俺の母親は俺のためにできる限りのことをしくれたよ。

6歳から21歳まで、フットボールをやっていたんだ。ギャングになる必要はなかったんだけど、自分で決めてギャングに入った。スポーツだけやる選択肢もあったけど、ただスポーツとギャング両方始めたんだ。

学校の友達は皆、俺をスクールボーイって呼んでいた。メガネをかけていて、ギャングになって高校の最終学年をダメにする前までは、高校の成績も3.3だった。(平均ちょい上!)名前がクインシーだから、スクールボーイ・Qって名前を思いついた。

フットボールでは、レシーバー、コーナー、テイルバックをやってたんだ。短期大学ではレシーバーとリターナーをやってた。2年で町中で知られるレベルの選手になった。でも、ミスって4年制大学に行けなくなった。夜間大学に行けるはずだったんだけど、ミスったせいで俺のやった犯罪ではダメだった。ギャング業のせいでダメになっちゃったんだ。

ウエスト・ロサンゼルス・カレッジ、サウス・ウェスト・カレッジ、ロサンゼルス・シティーカレッジ、グレンデールに通ったけど、フットボールの練習をして家に帰るって感じだった。勉強のことはあまり気にしてなかったね。フットボールの練習に支障がでないように、授業に出て、必要最低限のことだけをやってた。進学できるように頑張ってもいなかった。ただ、フットボールがちゃんと出来るようにやってた。

フットボールで行き詰ってたから、その当時からラップしてればよかったと思うよ。フットボールに関して後悔はしていないけど、その頃からラップやってればよかったのにって思う。そうしてれば、今頃もっと上手くなってたと思う。

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ギャング業について

俺は12歳でギャングになった。フーバー・クリプスのメンバーだった。友達がやってたから俺もやりたいって思った。あまり色々言えないけど、他のフッドとビーフしたりとかはしなかった。ただリーダーに従ってたんだ。

ギャングなんて大したことないぜって、あまり深く考えてなかった。16歳のときに、それが現実味を帯びてきて「デーム!オレは本当にギャングだ」って気づいた。でも、よかったんだよ。それで、いまの俺がいるんだから。もしギャングになってなかったら、ラップもしてなかったかもしれない。話したいネタもいっぱいあったしね。俺の音楽には攻撃性がいっぱい詰まってるけど、ギャングやってなかったら、そうはならなかったと思う。16歳から21歳頃までは、ギャング業が俺の生活さって感じだった。ミックステープ『SetBacks』をドロップする4か月前ぐらいにギャングを辞めたよ。

俺はオキシコドン塩酸塩(医療用麻薬製剤)を売ってたんだ。クラックも少し売ってたけど、クラックやウィードを売っても、そこまでの大金は稼げなかった。オキシコドン塩酸塩で超メイクマニーしてたんだ。郊外まで出てブツを手に入れてた。そして、俺はタダ待つだけ。友達が俺の話を誰かにして、ソイツが口コミで話を流して、欲しい奴らが俺のとこに来るようになるのさ。宣伝なんて必要ないんだぜ。

そうやって色んなブツを売ってて、いろいろあって、最終的にミスった。21歳の時に逮捕されて刑務所行きになった。重罪を言い渡された。どんな犯罪行為かは言わないけど、性的なものじゃないぜ。

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ラップについて

16歳の時に始めてバースを書いた。ラップはしなかったね。誰でも1バースぐらい書いたことぐらいあるでしょ。バースを書いてはみたけど、夢中にはならなかった。21歳になる頃までに、やっとハマってきて、情熱を持ち始めたんだ。自分の攻撃性を外に出すようになったから、ブースに入って、それを吐き出した。音楽製作に力を入れて、音楽について勉強した。そして、Qになったのさ。

学校でもストリートでも、やるだけやって、俺は途方に暮れていた。自分が何をしたかったのか分らなくなって、とりあえず何かしたかったんだ。そして、音楽をやろうと思いついた。音楽を始める時に、ちょっとしたお金を用意して、後はどんどん作業に慣れていってラップし続けた。今ではマストなものになった。

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影響を受けたもの

俺に影響を与えたのは、ナズ、50セント、ジェイ・Z、モブ・ディープ、コラプト、2パック、ビギー、カニエ・ウェスト、ビーニー・シーゲル、ウータン・クランだな。でも、ビギー、ナズと50セントが一番でかい。

ジェイ・Zからライムのスタイルを学んだんけど、ジェイ・Zは、いつも新しいサウンドなんだけど、決して同じことはやらない。ちょっとスワッグは使ってるかもしれないけど、いつも違うフローだ。それを自分でもやろうとしている。

数ヶ月前に、50セント、ドクター・ドレー、ケンドリック・ラマーと一緒にスタジオでチルしてた。50セントが俺と一緒にやりたいって言ってくれた。俺の作品が好きなんだって。スタジオでは、音楽業界の話をしたり、どんな事がしたいか、どんな事をやりたくないのかとか話して、彼は俺にアドバイスをくれた。50セントは自分がやっている事をやり続けろって言ってくれた。自分のやりたい事をやれって。それと同時に、レコードにしろって。ウソに騙されずに、自分の金をゲとって「自分」で居続けろ言われた。俺はその話で凄いやる気が出て、次の日にはスタジオに入ったんだ。ははは!

ラップは、ただ説明のつかない感情なんだよ。道を外れないようにするには賢くなるしか無いけど、ルールは存在しない。ルールに従ってラップすると、つまらなくなる。だから、声を変えたり、2小節ラップしなかったり、30小節の代わりに33小節、16小節の代わりに14小節にしたりね。

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TDE加入

俺とエンジニアのアリはTDEに入る前から一緒にやってたんだ。アリは俺がTDEを知る前からTDEの事を知ってた。彼は俺をスタジオに呼ぼうとしてて、俺は2006年頃にTDEのスタジオに行ったんだ。皆はスタジオの事を「House Of Pain」って呼んでいた。マネージャーのパンチ、ケンドリックやジェイ・ロック、アブ・ソウルがいた。スタジオに入ると、ビートが鳴り響いていた。アリが俺がラッパーだと皆に紹介してくれた。パンチがラップしてみたら?って言ってきて、ジェイ・ロックとアブ・ソウルの作品に俺もリリックを乗せた。パンチが気に入ってくれて、また来いよって言ってくれた。俺はスタジオに行き続けて、ラップも上手くなっていって、TDEと契約したんだ。2008年に正式にTDE入りした。その頃から、彼らはTDEを名乗り始めた。でも、紙での正式な契約は2010年だ。

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ブラック・ヒッピーについて

2009年にケンドリック・ラマー、ジェイ・ロックとアブ・ソウルと結成したんだ。まだ音楽の事はダラダラやっててオキシコドン塩酸塩を売ってた頃だけど、俺はグループとしてちゃんとやろうと決めたんだ。1小節書けば、物事が進むって事がわかったんだ。俺はメイクマニーに忙しかったけど、俺がライムを書けば、後は彼らが全部ちゃんとやってくれるって分かったんだ。だからグループでやろうってなった。

俺はいつもヒッピーって名前でやってたから、そこにケンドリックがブラックをつけて、ブラック・ヒッピーになったんだよ。レコーディングでは、俺たちは超クレイジーになるから、それをただ維持するだけだったね。

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前作「Setbacks」について

『Setbacks』のコンセプトは、俺がラップできない理由を全て話すことだったんだ。俺が達成しようとしてた事を何故やり遂げれなかったのかというと、くだらない事をやってたからさ。それを全部アルバムに詰め込んだ。例えば「Druggys With Hoes」って曲は、俺はドラッグまみれでホーとファックしようともしなかったって話。「Kamikaze」は俺はラップしようと思わず、もう破滅に向かってことを書いた。そんな感じのものを一つのアルバムに詰め込んだんだ。

そのミックステープをドロップしてから、俺の人生は180度変わった。皆が皆名前を知ってる訳じゃなかったけど、多くの人が俺のことを知ってくれたし、なんか変な感じだったよ。俺が進むべき方向にいかせてくれた。このプロジェクトで金も稼げたし、人生でポジティブな事をもっとやらないといけないって気づかせてくれた。そのおかげで、今の自分がいる。いま俺がやらないといけないのは、落ち着く事。チルして、音楽制作に打ち込んで、2歳の娘と一緒に過ごして、ウェード吸って過ごすというようなことだよ。

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エイサップ・ロッキーについて

エイサップ・ロッキーはマネージャーを通して知り合ったんだ。俺がニューヨークでスタジオいに入ってた時に、マネージャーが「Purple Swag」のビデオを見せてくれて、彼が俺と一緒にやりたいって話を聞いて、俺は「ヤバイ!やろうぜ!」ってなった。エイサップ・ロッキーもスタジオに来て作業しようとしてくれてたみたいで、俺は「ヘル・イェー!来いって彼に伝えてくれ」って感じだった。

スタジオ来いよって言ったけど、彼が本当に来るとは思ってなかった。ラッパーにはいつも「スタジオに遊びに来いよ」って言うけど、みな絶対来ないからね。だけど、彼はちゃんと来た。自己紹介し合って、ビートを流して、一緒に作業を始めたんだ。レコーディングを終えてから、関係がよくなり始めた。ぶっちゃけ、レコーディング終えるまでは、そうでもなかったよ。

ただお互いイイ感じなんだよね。彼は東海岸バージョンの俺って感じで、俺は西海岸バージョンの彼って感じ。俺たちは基本的に同じことやってて、同じようなライフスタイルを送ってる。俺たちは、誰も何も気にしちゃいないの。

『Habits & Contradictions』について

『Habits & Contradictions』は『Setbacks』の続編と言える。『Setbacks』が出来たのは、俺の悪習慣と俺が自己否定し続けてたからなんだ。

俺の悪習慣は、ウィードを吸うこと、夜遅くまで遊んじゃうこと、ダラダラしちゃうこと、ハスリング、ギャング業、あと撃ったりね。普通の男、ギャングによくあるような悪習慣だね。刑務所に入った時に、自分は間違っているなって思ったんだ。出所したらすぐに、もうこんな事は終わりにしようと思って、実際にそうした。神に祈って、許しを祈った。もう、こんな事は絶対やらないって誓った。でも、またホーにハマっちゃったんだよね、ドラッギーなホーに。超ダメな習慣だよ。ははは!

ピルは一度もやったこと無い。作品の中で言うのは好きだけど、エクスタシーを5回ぐらいやっただけだよ。俺は、こういう系はあまりやらないんだけど、作品の中で話すのはいいよね。ははは!

俺は冒涜的な人間だった。神に祈って、許しを請うんだけど、現実では、違うことやっちゃうんだよね。こういうことになると最悪の男だよ。教会に行くはずなんだけど、行かないしね。聖書を読んで意味を理解しようとするんだけど、結局くだらないバカなことばかりやってる。

いつも、なにか間違ってるって思う時は、座って「自分がしてた事がわからなかった」って祈るんだ。超弱くて哀れなことだよね。俺らはいい加減いい大人だし、自分のやってる事なんて分ってるはずじゃん。たまには、ちゃんとしないとな。大変だけど、色々なもののために自分と戦わないといけないね。

https://twitter.com/ScHoolBoyQ
http://p-vine.jp/artists/schoolboy-q
iTunesはこちらHabits & Contradictions

LA出身のラッパー。ティーンエイジャーの頃から地元のギャングに所属しながらNasや50セントらの影響を受けてラップに目覚めて本格的に始動し、08年には初のミックステープ『Schoolboy Turned Hustla』を発表。その後、ケンドリック・ラマーらも所属するトップ・ドッグ・エンターテイメントへ正式加入し、ラマーやタイガ(ヤング・マネー所属)らの作品へ参加して名前を広め、11年には傑作の呼び声高いファースト・アルバム『The Setback』(配信限定)を発表。また同年、エイサップ・ロッキー、ラマー、スモークDZAら新世代の注目アクトともコラボし、全米規模へその名が浸透。

12年1月に待望のセカンド・アルバム『Habits & Contradictions』を配信限定でリリース。ケンドリック・ラマー、ジェイ・ロック、AB・ソウルとのユニット、ブラック・ヒッピーとしての活動も大きな注目を集めており、先日発表されたドクター・ドレーのレーベル、アフターマス/インタースコープとの契約も話題に。

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