ISSUGIとBUDAMUNKのヒップホップ談義

ISSUGIとBUDAMUNKのヒップホップ談義

5lackもまじえたシックなユニット、SICK TEAMでもジョイントしていたラッパーのISSUGIとビートメイカー/プロデューサーのBUDAMUNK。両者の連名によるドープなアルバム『II BARRET』がヘッズの間で話題となっている中、洋楽ヒップホップ情報twitterアカウント、@hiphop_hype の中の人と都内某所にてハングアウトしてるとの情報をキャッチし、合流。チルしながら色んな話が聞けましたが、まずは昔話からスタート…。

Budamunk(以下、B) 「…オレ、結構前のFRONT、持ってるなぁ。JODECIが表紙のヤツとか。あとはBUDDHA BRANDとか」

ISSUGI(以下、I) 「ありましたね、COMMONが表紙のとか。WU-TANG CLANが表紙のもありませんでしたっけ?」

Hiphop_Hypeの中の人(以下、H) 「ありましたよ、結構初期じゃないですかね」

B 「JODECIのはかなり初期だった気がするなぁ」

H 「ですよね。初期のWU-TANGが表紙のだと来日に密着してたり」

I 「あー、あったすね。RZAがホテルの部屋で機材をイジってる写真が見た気がするっす」

B 「めちゃめちゃ良い時代だよね。FUGEESとか」

I 「懐かしいっすね、FUGEESって日本に来ましたっけ?」

B 「来てた気がする。何かテレビに出たのを録画した気がするし。Black Music Reviewってのもありましたよね。それとFRONTは欠かさず読んでたな。あの頃は雑誌から色々学んだよね」

I 「そうっすよね、ネットとか無かった時代だし」

B 「VISIONAREISのKEY KOOL & RHETTMATICのインタビューを読んで初めてアジア人のMCが向こうにも居るって知ったんだよね」

H 「その頃ってBUDAくんはどこに居たんすか?」

B 「それって95年くらいの話っすよね。オレがLAに行ったのは96年くらいなんでKEY KOOL & RHETTMATICは日本で知ったっすね」

I 「RHETTMATICのミックステープとかも売ってましたよね」

B 「うん、オレはそれは新宿にあった洋服屋で買ったんだよね。何てとこだったっけな・・・JACKPOTだ!」

I 「あー、オレもJACKPOTでよくミックステープを買ってたっすよ」

B 「オレはRHETTMATICとかQ-BERTとか・・・DJ HAZIMEのミックステープも買ったかな。その辺をLAに持って行って聴きまくってた。DJ HAZIMEのミックステープだとVol. 3を一番聴いたかも」

I 「青っぽいヤツすよねー。オレもよく聴いてたっす、最初はE.G.G. MANから始まって。“Guess Who’s Back”(RAKIM)とか入ってた気がする」

B 「よく覚えてるね(笑)。あとはCAMP-LOとか入ってて。超聴いてたなー」

I 「オレはたぶん初めて買ったミックステープがDJ HAZIMEのVol. 1かもしんないすね。選曲も渋かったっすよね」

B 「うん。オレは日本人のDJだとそれくらいしか聴いてなくて、あとはLAに行ってからBEAT JUNKIESとか聴いたり」

I 「その頃は日本人のDJもそんなに出してなかったすもんね。DJ CELORYとかも聴いてたっすね」

B 「オレはそれはチェックしてなかったなー」

I 「オレはちょうどスケボーをやってた頃っすね、夜中にスケボーやりながら聴いてたかな」

B 「あとは夜中にMUROさんたちがやってたラジオも聴いてた」

H 「「Da Cypher」っすね」

I 「「Da Cypher」だ!オレ、テープ録ってたっすよ」

B 「オレも何本かテープで持ってるなー、探したら出て来るかも。始まって少ししてからLAに行ったから最初の頃しか聴いてないけど」

I 「土曜の夜で放送が長かったんすよね。長いから録音して、次の日にそれを聴いてスケボーしてたっすよ。ラジオはいいっすよね、憧れがあるっす。日本でヒップホップのかかるラジオ番組が定着しないってのが寂しいっすよね。今だとネット・ラジオくらいしかないし」

B 「でも、その後の時代に日本のヒップホップも結構デカくなったんだもんね」

H 「そうですよね、メジャーと契約する人も増えて・・・。BUDAくんって幾つくらいでLAに行ったんすか?」

B 「16ですかね。正に「Da Cypher」とか聴いてた頃っすよ」

H 「なるほどー。実際にふたりがヒップホップを聴き始めたのはその頃なんですか?」

I 「オレはたぶん「Da Cypher」が中2か中3で、たぶんその頃からっすね。最初はPUGがヒップホップを聴いてたんすよ。スケボーをやりに行ったらPUGがMOBB DEEPとかJERU(THE DAMAJA)とかBLACK MOONとか持って来てて聴いて・・・たぶんそれが最初だと思うんすけど・・・やべ、思い出せねぇや(笑)」

B 「オレはヒップホップよりも最初はR&Bを聴いてたから。それこそFRONTみたいな雑誌を読むようになってからヒップホップを聴き始めたんすよね」

H 「JODECIとか?」

B 「JODECIはたぶん一番最初に買ったブラック・ミュージックかもしれないっすね。あとはBOYZ II MENとかも普通に聴いてたし」

I 「オレ、ヒップホップだと思ってジャケ買いしたらR&Bだったこととかありましたからね(笑)。CASEだったかなー、ヒップホップかと思ったら歌で。しかも甘い感じの(笑)」

B 「JODECIも見ためはヒップホップっぽいしね。でも甘いんだけど、甘いだけじゃない」

H 「その頃はヒップホップの人とR&Bの人のコラボも多かったですもんねー。ちなみにISSUGIくんがラップ始めたのっていつくらいのことなんすか?」

I 「中3くらいですかね」

H 「え?じゃあもうヒップホップを聴き始めてすぐくらいに?」

I 「そうっすね。でも最初にアメリカのヒップホップを聴いてた時はやろうとは思わなくて、日本人でやってる人がいるってのを知ってからやり始めたんすよね」

B 「日本のHip Hopでその頃にCDを持ってたのがLAMP EYE、SOUL SCREAM、(T.A.K. THE)RHYMEHEAD・・・その辺りにLAに行くけど持って行ってめちゃめちゃ聴いてましたね。LAMP EYEは『証言』、SOUL SCREAMはあのアルバム・・・」

I 「『THE DEEP』!」

B 「そう、それ!RHYMEHEADだと『銀河探検鬼』。この辺はずっと聴いてたんだけど、ケビン(OYG)に合ったら全部持っていっちゃって(笑)。E.G.G. MANの『TEXT』ってシングルもカッコ良かったっすね。でも学校の寮に置いてたらパクられたっす(笑)。なんで、最初だけですぐに聴けなくなったんですよね。日本に帰って来てから12インチで買い直しました」

H 「BUDAくんはいつくらいからトラックを作り始めたんすか?」

B 「遅かったすよ・・・19か20くらいすね。最初はDJ、って言うかクラブでちょっと回させてもらったり、ターンテーブルは日本に居る時から持ってたからレコードはずっと買ってて、ターンテーブルとレコードも持って行ったんですけど。それで最初はDJになりたかったんだけど・・・何かあんま上手くならなくて(笑)。けど、クラブでは回したりするようになったし、ヒップホップが本当に好きだったから何も出来なくてもヒップホップのシーンには関わっていたかったから。だからレコードも買うし、イベントも行くし、やらせてもらうチャンスがあったらDJもやるし、って感じで。で、ビートも作りたいって思ったんだけど、どうやればいいのか全然解かんなかったし、今みたいにネットとかもないから誰かに教わらないと出来なくて。とりあえずMPCがあれば作れるよ、って情報だけはゲットしたんでMPCを手に入れて。でも最初は使い方が解かんないから放ったらかしの時代が何年か続いて(笑)。ちゃんと作るようになったのはJOE(STYLES)に会ってからっすね。JOEとかLAIDLAWに会って、そこまで詳しくないけど彼らがMPCの使い方は知っててビートの作り方も知ってたから教えてもらって。あ、出来んじゃん、みたいな(笑)。で、LAIDLAWがやっぱCHALI 2NAの弟だから色んな人を知ってて、チョップの仕方をどこかで覚えてきてウチに来て真似してやる、って感じで(笑)。それで少しずつ覚えていきましたね」

H 「その頃ってJURASSIC 5は・・・」

B 「もうメジャー・デビューしてましたね。そのもっと前にはJAY DEEとかDJ DEZとか、CHALI 2NAが繋がってるから家に来てたみたいで、その頃にLAIDLAWはまだ10代だったけど、どうやってみんながビートを作ってるか見てるから、それを教えてくれたんすよね」

H
「それが幾つぐらいのことなんすか?」

B 「そいつらに会ったのは22か23くらいっすね。そこからSOUL JUGGLERSを結成して、って感じすね」

H 「なるほどー。ISSUGIくんは最初にラップを始めた頃はどんな感じだったんすか?」

I 「15くらいで始めたんすけど、その頃はライブをやれるような知り合いとかが居なくて。だからライブとかはやんないで曲を作ってた時期があった気がするんすよね。曲って言ってもただリリックを書くくらいの話なんすけど。で、その頃に中学の同級生がクラブでDJをやるようになったって話を聞いて遊びに行ったら同じ年のヒデオ(仙人掌)とYAHIKOがライブをやってて、それで一緒にやろうって誘ってくれたんすよね。でもそれはいつくらいだっけなー、18か19くらいまではそんなにライブはやってなかったっすよね。そして今に至る、って感じで。それまでは友達んちで適当にインストかけてラップしてカセットに録るみたいな。デモテープじゃないですけど」

H 「MONJUはこの頃くらいに結成したんすか?」

I 「いや、MONJUはもっと後っす。DOWN NORTH(CAMP)と仲良くなって、その中でPUGとヒデオとオレで曲を作るようになっていて、じゃあ3人でやってみようってことになってCDを作ったんすよね」

H 「んじゃ、BUDAくんとISSUGIくんはそもそもいつくらいに出会ったんすか?」

I 「『Black de.ep』の頃なんで5年前くらいっすね」

H 「そのキッカケって・・・?」

B 「オレがMyspaceでMONJUのページを見つけて。何で見つけたかって話をすると長くなるんだけど・・・DOWN NORTHのLAに居る人の彼女がたまたまKEENTOKERSのページに「ライブ、いつやるの?」みたいなコメントをしていて。それでその子のページを見てみたらMONJUがフレンドのとこにいたからクリックして聴いてみたら、何コレ!?みたいな。日本にこんなヤツらが居るんだ、って。その時は日本に帰って来て2年近く経ってて、それまでもイイって思う人は居てもメローだったりジャジーな感じだったり・・・もちろんメローなのも大好きだし、自分が作るのもメローなのが多いんすけど、自分はLAに居た時はもっとストレートな、グライミーなヒップホップを聴いてることが多かったから、MONJUみたいなストレートでハードな雰囲気のグライミーな要素のあるヒップホップを聴いたのは初めてだったからすごいテンションが上がったっすね(笑)。しかもそれプラス、日本独特の空気感、DJ KRUSHさんみたいなあんな感じの空気感って言うか、日本人しか出せないカッコ良さを同時に感じたし。ドラムの鳴りとかもカッコ良かったし、これはヤバいって思って即行でメールして。その時が日本に帰って来て一番テンション上がりましたね(笑)」

I 「でもオレもその時にBUDAくんからフレンド・リクエストが来て、ページに行くじゃないすか。やべー、ってなって。日本人でこんなトラックを作るヤツが居るのかよ、って思って。ホント、転機って言っても良いくらい衝撃を受けたっすね。今までに聴いた日本人のトラックで一番ヤバいと思ったし、日本じゃ他に居ないし、もうコレだ!って思いましたね」

B 「オレも思ったよ(笑)。ビートもカッコ良いし、ラップもカッコ良いし、何だよ、コレって思いましたよ。これで一緒にやれたら超ヤバいでしょ、って思って・・・」

I 「その一週間後くらいにはもう一緒に遊んでたっすよね(笑)」

B 「「REFUGEE(MARKET)」がちょうどあったからね。『Black de.ep』がちょっと前にリリースされて、それのリリパ用のミックスみたいなのもMyspaceにアップされてて、そのミックスされてる感じも超ヤバくって。ひたすら何回も聴いて・・・プレイ回数を増やしたと思う(笑)。それを毎日のように聴いてて、そのリリパに遊びに行ったんだけど誰がMONJUかも解かんなくて、別のイベントでDJをやった時に来ててたまに話したりするような人がそこにもたまたま来てて。それで、何で来てんの?って言われたから、MONJUってグループに会いたくて見に来たんだよね、って言ったら、ちょうど友達だったみたいで。で、いきなり紹介してもらえて。すげぇツイてたっすね。それで(池袋)bedの裏に行ってISSUGIくんがフリースタイルしてくれて。そこでも、こんなフリースタイル出来るヤツが居るんだって思って」

I 「やっぱテンション上がったっすよね。今までにない要素をKEENTOKERSには超感じたっす。JOEのラップにケビンのラップ・・・ケビンは日本語だし、そのバランスも面白かったし。もう“After Shock”って一曲にヤラれたっすね、Myspaceに載ってた曲で」

B 「“After Shock”って正にそのとおりだね(笑)」

I 「そうっすね(笑)。クールって一言で片づけちゃうと安っぽく聞こえちゃうけど、やっぱBudaくんはクールさがハンパじゃないんすよね、トラックから感じさせるモノとか。それがオレがMyspaceで聴いた時に感じた、日本人がこんなビートを作るのかって言う、温度とか質感とか・・・全体的なモンなんすけど」

H 「そこで出会ってすぐに一緒にやろう、って話になったんですか?」

B 「ちょうどオレが自分の音源だけでミックステープを作ってたから、それに乗っかってもらおうって思って何曲か録ってもらって。それが最初っすね」

H 「そこからISSUGIくんのアルバムにBUDAくんが参加したり、SICK TEAMがあったりして・・・で、いきなり話が飛んじゃうんすけど、今回のアルバムを一緒にやろうと思ったのは何でなんすか?」

I 「取材の時にBUDAくんから言われて思い出したんすけど、『EARR』の時にシンセを乗せてもらったりしたこともあって、BUDAくんと一緒にアルバムを作りたいなって思ったんすよね。『EARR』を作ってる時からBUDAくんにはそれを伝えてて、今までSICK TEAMとかソロ・アルバムで何曲か、とかはあったけど、そんな感じじゃなくてアルバム用にBUDAくんのビートを集めてガッチリ、ってのをやりたくて」

B 「『EARR』の前から会った時にはビートを聴かせて、気に入ったビートがあればキープしたりしてたし。でもオレはどうやって使われるのかは全然解かってなくて、それで『EARR』の後に一緒に作りたいってことを言われたからまた新しいビートも渡して。でも古いビートも全然入ってて、それこそ08年に初めて会った時に渡したビートとか(笑)」

H 「じゃあ『EARR』と並行して作ってたんすか?」

I 「そうっすね、『EARR』の制作が終わるくらいには漠然と次は一緒に作りたいって考えてましたね。トラックは結構、前から使わせてほしいって言ってて使ってないのがあったし、自分の方からBUDAくんのビートでひとつのモノを作りたい、って気持ちがあったのかもしれないっすね」

H 「じゃあプロジェクトの主導はISSUGIくんが、って感じすか?」

I 「そうっすねー」

H 「制作の流れってどんな感じだったんすか?」

I 「今回は半分以上をBUDAくんの家で録ったんじゃないかなー、他で録ったのは3曲くらいっすね。手順的にはトラックを聴いてリリックを書いた順にBUDAくんちへ遊びに行って録って、って感じで。あとは5lackとやってる曲とかはBUDAくんちに5lackと一緒に行って録って、って感じっす」

H 「今回のアルバムに『II BARRET』ってタイトルが付けられたのにはどんな意図があるんですか?」

I 「(BOB MARLEY & THE)WAILERSにBarrett兄弟ってのが居て、そのベースとドラムのコンビネーションみたいにBUDAくんとやる時にひとりでやれない物が生まれたらな、って思って。あとは普通に銃のバレット、音楽で人を撃つっていうことで。IIはIとIを組み合わせたって感じっす。今後はBUDAくんとオレでやってく時はII BARRETってグループ名でやろうかなと思ってて。やっぱひとりでやってるモノとふたりでやってるモノで変わってくってのも面白いし」

B 「ひとりで好き勝手にやる良さもあるしね」

I 「そーっすね、お互いにひとりで好き勝手にやってきてる分、色々解かってると思うんすよね」

H 「5lack、仙人掌、KID FRESINO、OYGってゲストの人選もISSUGIくんが主導で決めた感じすか?」

I 「そーっす、トラックを聴いてこれはアイツが合うな、って思って頼んだっすね」

H 「制作は結構順調に進んだんですか?」

I 「そーすね、今まで作ったアルバムの中で一番早く出来あがったってのは確かすね(笑)。SICK TEAMも早かったですけど。良い意味でサクッとリリックが書けてくっつーか」

H 「トラックを聴いた初期衝動で書けちゃう、みたいな?」

I 「そっすね、ツマることがないっつーか、BUDAくんのトラックから沸くインスピレーションでサクッと書けちゃうのかもしれないっすね。オレだけのアルバムで出せる色とBUDAくんの色が重ね合わさることで色が濃くなって、深まる感じも出ていて、そこが『EARR』とは違いますよね」

B 「オレが思ったのは、自分でアルバムを作る時って頭の中にイメージする形があってビートを作ってるから全体の色が統一されていくんだけど、今回は自分だったらひとつのアルバムには入れないような色んなトラックをチョイスしてくれてバラけた感じになったのが統一感のなさ、というか飽きずに通して何度も聴ける感じになってるなと思う。しかもISSUGIくんが決めた曲順もすごい良くて、どの曲も特徴のある感じに仕上がっていて、それが自分的にはフレッシュでしたね」

H
「じゃあBUDAくんは特にISSUGIくんとのプロジェクトだからって特に意識しなかったんすか?」

B 「そーすね、基本的にはあるビートから選んでいってもらったんで。昔渡したビートも今回選んできたりとか。(今作を)作ってる最中にビートを作っていて、これはISSUGIくんっぽいなと思って聴かせたのが選ばれたりとか」

I 「“Get Ready”って曲がBUDAくんから、ISSUGIくん用のビートなんだよね、って渡されたビートで、それでレコーディングした時に何か「始まった感」がありましたねー。BUDAくんがチョイスしてくれるビートってオレのことを解かってくれてる感じなんすよね、当たり前だけど知ってるヤツじゃなきゃ解かんない好みっつーか。で、やっぱバッチリで。だからトラックをもらったらすぐにリリックも書けちゃうんすよ。やっぱそのバランスも良いと思うんすよね、オレが選んできたビートだけで、BUDAくんが途中からビートをチョイスしてくれなかったらまた違ったモノになったと思うし」

B 「自分で作っててたまにあるんすよ、これはISSUGIくんにラップしてもらったらカッコ良いかも、って。今回もメロウなトラックが出来あがって、ISSUGIくんに合いそうだな、って話したらちょうどチルっぽいトラックが欲しかったって言ってくれて」

H 「すごい絶妙なコンビネーションすね(笑)」

I 「確かに(笑)」

B 「それがちょうどアルバムの最後の方に相応しい曲だったんだよね。“Writin in myhood”って曲で」

I 「オレ、BUDAくんから渡されてないビートでもラップしたくなっちゃうんすよ。お店の特典のミックスとかに入ってる音源で、ここで流れてるビートをください、みたいな(笑)。もう聴いた瞬間にラップしたくなっちゃうんすよねー、色んなビートを集めたいっつーか、誰かが言わないうちに先にゲットしようって(笑)」

B 「それも割と古いビートだったりするんだよね。“Rize again”って曲のビートも、『Blunted Monkey Fist』を作り始めたばっかの時にアジアっぽい感じのビートを作ろうと思って一番最初に作って、だけどたまたま使わなくて。その空いてたのを使いたいって言ってくれて。ミックスなのにオレの作ったビートって解かるのがスゴいよね(笑)」

I 「BUDAくんのビートはやっぱ解かりますよ(笑)。似てる感じのビートもありますけど、BUDAくんの作ったビートとは全然違うし」

H 「ではBUDAくんから見たISSUGIくんのラッパーとしての魅力ってどの辺にあります?」

B 「うーん、日本語の良さも解かるような言葉の使い方だったり、フロウもしっかりしていて上手いし、それでこんな風なノリでビートにハメてくってラッパーは日本じゃ少ないと思うんですよ。でも、ノリがないとオレのビートは難しいと思うんすよね、英語のノリだとリズムに乗せやすいのかもしれないけど、日本語だとどうやって乗せれば良いか解かんなかったりするんじゃないすかね。それを普通にスッと乗せちゃえる人って少ないんじゃないかな、って思いますね」

H 「前にGREEN BUTTERがライブしてる時にISSUGIくんが1曲ラップで参加して、終わったら、もう1曲ラップしてもいいすか?ってBUDAくんに聞いてラップし続けてたのが印象的でした(笑)」

B 「あー、あった(笑)」

I
「いや、普通に聴いたらラップしたくなると思うんすよ、BUDAくんのビートって。聴いてると自然にノッてきちゃうんすよねー、ホント自然なことで。最初にBUDAくんのビートを聴いた時も自然に乗っちゃったんすよね、自分にとってはラップが活きるビートだし」

B 「ISSUGIくんのラップは言葉の選び方もアートっぽいって言うか、テイストとかセンスがカッコ良いんすよね。言葉の選び方とか単語の並べ方とか。それも魅力っすね、自分は言葉で表現出来ないし。自分が出来ないところをベストで表現してくれる人が居るとしたら、それがISSUGIくんなんじゃないすかね」

H 「おー、なるほど。ちょっと話は逸れるんすけど、ふたりは普段はヒップホップを中心に聴いてるんですか?」

I
「そーすね、ヒップホップ中心ですけど、音楽全般で何でも聴いてますよ。ヤバいモノを探しちゃうっつーか。ヒップホップを聴いてる時も、それ以外の音楽を聴いてる時もそんな感じで聴いちゃうんすよね。良い曲を探してる、って感じじゃ全然ないんすよねー」

B 「オレはほぼヒップホップですかね。でも最近はまたR&Bとか、ミックスを作るために昔の90’sのを聴いたりしてますね。その時代の空気感が懐かしくて、思い出して聴いたり、とか。ちょっと前までは別に懐かしいって感じでもなかったんで聴くことはなかったんすけど、最近やたら、年とったせいか90’sの曲がやたら懐かしくて(笑)。やっぱ自分が一番ハマった時期の音楽だし、一番ブラック・ミュージックに衝撃を受けた時代でもあるし・・・それを意識して自分でビートを作ることもありますね。そこが自分のルーツでもあるし、自分のジェネレーションの音楽だからそれを自分で表現したいってのもあるし、もちろんそのままで作っても面白くないから今の時代に合うように進化させて、昔の良い時代のテイストも残しつつ、上手く表現出来たらと思ってますね。ある時期からヒップホップにハマりだしたら全く他の音楽は聴かないで来ちゃったけど、R&Bの中でもネオソウルっぽい感じの、D’ANGELOとかTONY! TONI! TONE!とか好きだったし、その前の時代のソウルとかジャズも昔から好きだったし、その辺のノリはGREEN BUTTERとか、巧さん(金子巧:cro-magnon)とmimi smoothとのコラボ(『First Jam Magic』)の時に取り入れてみたり、とか。けどやっぱヒップホップが基本のベースっすね。ヒップホップほどハマった音楽はないんで」

I 「やっぱBUDAくんの歌モノをチェックしてるところがすげぇスパイスになってると思うっすね、オリジナルな要素だし」

B 「JAY DEEを聴いて、ヒップホップなんだけどメロウな、自分の好きなR&Bっぽい音を表現出来るんだ、って思ったし。WU-TANG(CLAN)とかMOBB DEEPとかハードなヒップホップも好きだったけど、こんな人も居るんだ、って思ったし、すげぇハマリましたね。Tribe (Called Quest)とかSLUM VILLAGEとか。Eric Sermonもそういう要素あったし」

I 「さっきの「クールさ」の話に繋がってくるんすけど、BUDAくんの持ってる「クールさ」ってブラック・ミュージックの持つ「クールさ」なんすよね。もちろん日本人のテイストもBUDAくんからは感じるし、両方の面が確実にあって、それが超良いバランスになっていて」

B 「やっぱ日本人なんで、ただの黒人の真似ってのは嫌だったから。自分をどう表現するか・・・自分が誰であるかを表現するのが第一だから。それは絶対譲れないっつーか、自分が日本人でアジア人でってところは。自分が誰であるかってことを踏まえた上でどうやってアートを表現するか、なんすよね。KRUSHさんとか日本人がどうやってカッコ良いヒップホップを表現するか、ってのを一番最初に成し遂げた人じゃないすかね。日本に居る時は最初のアルバムしか出てなかったですけど、LAに行っても普通に向こうのタワーレコードとかで並んでたんで」

I 「そうなんすよ、BUDAくんもKRUSHさんも日本人が持ってる静けさみたいな、日本人の良さを感じますね。スタイルは違うけど」

H 「わびさびみたいな」

I 「そうっすね、アメリカ人とかは持ってないような気質みたいなモンがあると思うんで」

B 「そう、それはオレもISSUGIくんのリリックとかラップに感じるよね」

I 「昔ヒップホップを聴き始めた頃に、黒人の音楽って解かった上で自分でやろうと思った時、黒人に笑われるような感じだったら違うよなって思って。日本人でこういうことをやるんだったらっつーか。」

B 「LAに居た時は人種のことって体で体験してきて、90年代頃ってまだ人種でツルむヤツが分かれたりもしてたから。黒人は黒人同士、アジア人はアジア人同士みたいな。それなのに自分は黒人の音楽が好きだったから、これでいいのかな・・・って考える時期があったんですよね。その時にちょうどKRUSHさんの音楽に出会って、こうやって表現すれば日本人でもカッコ良いじゃん、って思って。その時にツルんでたJOEとかは全然日本人とか気にしてなかったし、JOEは黒人独特なグルーヴを出してるヤツだったけどオレがヤバいビートを作ったら、やべー!って普通に言ってくれたから、やっぱこれで良いんだ、って自信にはなったなー。自分がやってることは間違ってないんだな、って」

-終わり-

ヒップホップを聴き始めた頃の昔話から2人の出会い、音楽への想いまでてんこ盛りのヒップホップ談義いかがでしたでしょうか!?こんな2人が気になった方は是非ISSUGI&BUDAMUNKのアルバム『II BARRET』をチェックしてみてはいかがでしょうか!?

Special Thanks to @hiphop_hype の中の人

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