ラップ vs. ロナルド・レーガン

ラップ vs. ロナルド・レーガン

昨今のUSヒップホップ作品で、またもや頻繁に名前を見るロナルド・レーガン!先日もキラー・マイクがリリースした『R.A.P. Music』(Rebellious African People Music=反抗的なアフリカ系の人々の音楽)というアルバムに「Reagan」という曲が収録されています。ヒップホップ界でのレーガン・ディスや批判は以前から行われていますが、レーガンは80年代に就任していた第40代アメリカ合衆国大統領です。何故、2012年の今でもこんなに非難されるのでしょうか?毎度お世話になっているRapGeniusが「ラップ 対 ロナルド・レーガン」(“Rap vs. Ronald Reagan“)という、ヒップホップとレーガンの関係、アメリカの歴史・政治について解説されている記事が面白かったので、補足して訳してみました。記事を読むだけで結構な勉強になるので、興味のある方は是非頑張って読んでみてください!

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ラップ vs. ロナルド・レーガン

おそらくロナルド・レーガンほどアメリカ市民を二極化させた人物はいないでしょう。ラップ・ヒップホップ文化は、数十年に渡って、レーガン時代を、近代アメリカ史の危険で決定的な転機として引用しています。一方で、アメリカの保守派の共和党員たちは、強いアメリカを再興した、ある種の急進的で保守派な救済者としてレーガンを支持しています。ヒップホップと保守派の共和党員たち両グループは、レーガンと彼の政策がアメリカに与えた影響について異なった見解を持っていますが、レーガンがアメリカ社会を変容させ、現在もそのまま同じ方向性を辿っているという点では、意見が一致しています。80年代は終わっているかもしれません。しかし、アメリカはいまだにレーガン時代を生きているのです。

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ヒップホップによって語られるレーガン

ラッパー達による、レーガン時代やレーガンが残した負の遺産への最近の注目は、ヒップホップ界で歴史的に一般化している反レーガン批評記録を更新しています。ケンドリック・ラマーの「セクション80」というアルバムは、彼が言うところの「ロナルド・レーガンの子供たち」という1980年代に生まれたアメリカの若い世代の見解です。ジュエルズ・サンタナも同様「ザ・レーガン・エラ」というミックステープを出しました。レーガンの死から約8年という年月が経っていますが、ラップのリリックでのレーガンに対する言及がますます多くなっています。ワーレイは曲中で何度もレーガンの名前を出しています。ダス・レイシストのKool A.D.はレーガン夫妻に関してさらに頻繁に言及し、ブラザー・アリとジェイク・ワンはレーガンのキャンペーン・スローガン「Morning in America」(アメリカの夜明け)を皮肉った「Mourning in America & Dreaming in Color」というタイトルの作品を8月にリリース予定です。

ジェイ・Zやスカーフェイス、カニエ・ウェストといった、レーガン政権時代に既に成人していたラッパー達にしろ、ケンドリック・ラマーやワーレイ、ジュエルズ・サンタナといった、80年代のレーガン政権時代に生まれたラッパー達にしろ、両意見の共通点は、レーガン時代がアメリカの暮らし、特に低所得者層の住むフッドに重大な二極化をもたらしたという事です。アメリカ共和党員、特にティーパーティーの人々も同意しています。レーガン時代をレーガン革命という、アメリカを再び偉大にした画期的な時代として認識しています。レーガン元大統領を、予言者あるいは聖人として祭り上げています。ヒップホップ的に言うと、2パック、ビギー、Jディラとビッグ・パンを合体したような感じです。死後さらに尊敬され、共和党の討論会でレーガンの名前を何十回と耳にすることは驚くことではありません。なぜなら、レーガンがアメリカ社会を保守主義者が理想とするものに変容したからです。レーガンは、オバマ現大統領を含むレーガン以降の大統領たちを、筋書き内に収める事に成功しました。レーガンが、過去30年に渡り、アメリカ共和党やアメリカの方針に影響を与えていると言っても過言ではありません。

私達は、大々的に普及している、保守派によるレーガンの偉大な物語によって圧倒されてきました。「レーガン時代は素晴らしかった」という話は今でも続いています。そして、アメリカのメディア体制のほぼ全体が、このような話と深く密着しています。ラッパー達は、どうしてレーガンと彼の遺産に対して批判をするのでしょうか?ラッパーの語るレーガン物語とアメリカの保守的な共和党員や多くのアメリカ人によって広く語られているレーガン物語は、何故こんなに異なるのでしょうか。

レーガンについてのラッパー達の発言

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ジェイ・Z : 「俺がここまでのモンスターになったのはレーガンのせい」
“Blue Magic”

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ワーレイ: 「ロナルド・レーガンがコカインを手助けして以来、変わった。」
“By Any Means”
「俺は、ただレーガンって名前の男を責めてるんだ」
“Warming Up Cane”
*80年代にコカインを流通させた麻薬王フリーウェイ・リック・ロスから名前を取ったリック・ロス率いるメイバック・ミュージックに在籍しているにもかかわらず!

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スカーフェイス: 「俺たちが立ち上がったのはレーガンも計画外(想定外)」
“Crack”

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カニエ・ウェスト:「ブラックパンサー党をどう撃退したんだ?ロナルド・レーガンは答えをでっちあげた」
“Crack Music”

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ザ・クープ のブーツ・ライリーは、レーガンとサダム・フセインの大量虐殺の罪を関連づけています。
“Head (of State)”

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チャックD :「レーガンはクソだ。ぶっちゃけ、レーガンが直接的な理由でパブリックエネミーが誕生したんだぜ。」

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ジェイ・Z、ヤシン・ベイ(モス・デフ)とイモータル・テクニックは、レーガン批評とオサマ・ビン・ラディンとの間に、少々違いを見出しています。ジェイ・Zは、「ビン・ラディンの前にはレーガンがいた」と言っています。
Immortal Technique featuring Mos Def and DJ Green Lantern “Bin Laden”
Panjabi MC feat. Jay-Z “Beware”

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プッシャー・T : 「ロナルド・レーガン時代は黒人コミュニティにとって、タフで有害な時期だった。特にロナルドが俺たちに提供したコカインのせいでね。」
“What Dreams Are Made Of”

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ケンドリック・ラマーとABソウル:「レーガンを非難すんぜ」
Kendrick Lamar – “Ab-Souls Outro”

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ブラザー・アリ:「マザーファック・レーガン!」
Jake One feat. Freeway & Brother Ali “The Truth”

サウス・セントラルを舞台にした1991年の映画作品「Boyz n the Hood」 のオープニング・シーンでは、レーガン/ブッシュの再選ポスターが銃で撃たれ銃痕が残っているシーンがあります。

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レーガンとクラックブーム

ヒップホップによるレーガン批判の多くはイラン・コントラ事件から発生しています。ジェイ・Zは「ブルー・マジック」曲中で「俺がここまでのモンスターになったのはレーガンのせい」に続き「オリバー・ノースとイラン・コントラを非難しろ」と言っています。ジェイ・Zは、アメリカのインナーシティに大量のコカインを売りさばき、クラックブームを促したレーガン政権が仕組んだ超違法行為について話しています。西海岸はロサンゼルスの麻薬密売人、フリーウェイ・リック・ロスは、フッドでの安いクラックブームの主要なパイプ・ラインを提供しました。フリーウェイ・リック・ロスは、東海岸まで流通を展開し、最終的には、コロンビアからパナマやホンジュラスからマイアミ、アメリカ全土まで広がりました。ホンジュラスの将官ホセ・ブエソ・ロサは、レーガン大統領直属であったオリバー・ノース中佐、パナマの君主であり、麻薬王パブロ・エスコバルによるコロンビア最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」で重要な役割を果たしたマヌエル・ノリエガと契約を結び、それらに援助されていました。もちろん、レーガン政権の手助けが全要因ではありませんが、中南米でのコカイン供給の増加により、レーガン時代に、コカインのキロあたりの価格が60,000ドルから 9,000ドルに下落しました。

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カニエ・ウェストは「ロナルド・レーガンは答えをでっちあげた」、ジェイ・Zは「ロナルド・レーガンがマンハッタンを破滅させた」、ブラザー・アリは「俺はクラックを売ったことは人生で一度もない。マザーファッキン・レーガン」とラップし、彼らみんなコカインをフッドへ流れ込ませたレーガン・チームの悪行について話しています。

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しかし、いったい何故、レーガン政権は大量のコカイン流通というリスクの高いことをしたのでしょうか?何故、レーガン政権は、インナーシティを破壊するクラックブームをアメリカ市民に対し行ったのでしょうか。この計画は、貧困地域のフッドを中和し軟弱化させ、インナーシティの反乱を防ぐために展開した一種の心理的な化学戦であると論じる人もいます。FBIは、1970年代に事実上コインテルプロを通してブラック・パンサー党やその他の公民権運動グループ弾圧のために嫌がらせ作戦を行使し、何名もの自由戦士を拘束、暗殺し追放しました。しかし、一方で、FBIは、それ以降も陰でコインテルプロを継続し、1981年にはパンサー党のムミア・アブ・ジャマールを逮捕しています。(コインテルプロは、1971年に公式に終了したことになっている)FBIが以前よりも外部から見えにくい巧妙なコインテルプロ活動を継続しているのは明らかで、レーガンのコカイン関連の活動は、ブラック・アメリカ(アメリカの黒人社会)に対する戦いの継続を意図しているようです。レーガンと側近は誰が傷つけられようとどうでもいい風にもうかがえます。クラックブームに影響を受けた人々は、単に「グローバル企業帝国の追求」という、より大きな戦いで巻き添えをくらったのです。

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コントラ、イラン君主とアメリカCIA

コカインの取引は、ニカラグアでレーガン政権によって遂行されていた法外な戦争への資金提供であった事は、イモータル・テクニックの「Watchout」という曲で強調されています。ニカラグアが、コントラの本拠地です。コントラは1979年から1990年までニカラグアに存在した反革命的なゲリラ部隊で、イランへの不法な武器貿易に一部的に資金提供をし、コカイン取引が違法ドラッグの取引や銃の流通など、残りの援助をしていました。コントラ部隊は、中央アメリカで増加している革命運動と格闘するために、アメリカのCIAのグループ、アメリカ国防総省、ホワイトハウスによって集められた違法な軍隊です。中央・南アメリカは数十年に渡り、アメリカのプランテーションに影響を受けてきました。中国が安価で新たな奴隷の労働力を提供する以前はラテン・アメリカが、それを担い、ラテン・アメリカ全ての国は、アメリカの企業によって買収されました。アメリカにおいて中南米の小規模な発展途上国を侮蔑的に扱う「バナナ共和国」(バナナ・リパブリック)という呼称はここから由来しています。広大なプランテーションのようにアメリカの企業がラテン・アメリカ全体を買収していました。ウィキペディアで「Jacobo Arbenz」や「Salvator Allende」を検索すると、20世紀後半に起こっていたことが全て解説されています。ワシントンの有力な政治家たち、特に企業と密接な関係にある政治家たちは、ラテン・アメリカの指導者を効果的に選択できるようになっていました。レーガンが大統領選に立候補するちょうど1年前、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線によるサンディニスタ革命で、ワシントンの有力な資本家が追放されました。そして、ワシントンの裕福な資産家ではなく、ニカラグアの市民への利益を与える新しいニカラグアを追求することが約束されました。

サンディニスタ民族解放戦線が不完全だと思われている一方で、彼らの革命はワシントン・コンセンサスという裕福な企業エリートによって管理された世界秩序と呼ばれる、米国主導の資本主義に対する「グローバル革命」の発端と位置づけられています。レーガンもグローバル革命の代表者で、「世界の人々」に対する「企業・銀行の代表の1人」です。「ウォール街を占拠せよ」ムーブメントが相手としているある種の経済体制は、レーガンによって、ラテン・アメリカで実験され、アメリカで構築され始めました。アメリカのエリート達によって行われた経済の実験に必要だったのが、コントラ戦争、麻薬カルテルへの資金提供で、それがアメリカのインナーシティの危機という結果になったのです。アメリカのインナーシティでは、ウォールストリート危機、住宅担保受け渡し権損失問題や、失業問題などの問題が起きる以前の早い段階から、この「新世界秩序」による代償を払ってきたのです。

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Morning in America(アメリカの夜明け)

同時に、レーガンの米国方針計画は、ラテン・アメリカ諸国に負担をかけるものでした。裕福な人々に低い税金を課し、貧困層や労働者階層へ政府からの援助を減らすようなものでした。レーガンのこの方針は、原理主義のイデオロギーによって突き動かされています。裕福なエリート層がきちんとケアされていない事が、全ての経済不振に繋がっているという考えです。サプライサイド経済学トリクルダウン理論と呼ばれる経済で、企業やエリート層など富める者が富めば、残りの人々(貧しい者)にも自然に富が浸透(トリクルダウン)するという理論です。アメリカの黒人コメディアンのD・L・ヒューリーは「トリクルダウンはロサンジェルスのインナーシティの黒人男性に似ている」と説明しています。

「全ての社会福祉はレーガン政権になってから削減され、意地きたない強欲さが個人の楽しみになった。強欲な白人である事に幸せを感じるよう導いたモーゼみたいなヤツだ」

レーガンの最初の業績の1つは、エリート層を支持し税制改革をしたことでした。富裕者層の限界税率は、1940年代以来、最低でも70%(時々80-90%の範囲内)でした。レーガンが大統領就任日には70%で、彼の2期目までに28%まで減少しました。驚く事ではありませんが、必死に頑張っているアメリカ少数の人々を支えてきた社会福祉予算が突然削減されました。富裕層への減税を補うために、社会福祉予算を徹底的にカットしたのです。レーガンは、アメリカ人(特に白人層)の心の中に「福祉女王」(welfare queen)という生活保護を受けながら、キャデラックに乗り女王のような暮らしをしている悪質な女達がいるという話をでっちあげて、アメリカ世論を反福祉に傾かせ、社会福祉予算の削減を正当化しました。レーガンは、要扶養児童家庭扶助、低所得者向けに行われている食料費補助対策、職業訓練といったプログラムが、インナーシティの貧困層の家族の生活を楽にさせていると投票者に信じ込ませたのです。
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※後に、レーガンの「福祉女王」話は作り話だと言う事が明らからかになったが、何度も繰り返されたこの逸話は真実としてアメリカ人の脳裏にしっかり残っているようです。

ヒップホップの誕生

ヒップホップによって語られたストーリーはレーガンによるストーリーとは全く真逆のものです。サウス・ブロンクスで生まれたラップ音楽はレコード・プレイヤーによってレーガンが話しているストーリーは事実ではないと人々に知られました。「ヒップホップはいつだってポリティカルさ」と、ブロンクス出身のジャーナリストで活動家のデイビー・ディーは語ります。グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの1982年の名作「The Message」はフッドの状況が非常に悪化していることについてリスナーに説明しています。カーティス・ブロウの1980年のパーティ・チューン「The Breaks」は経済的苦難についての曲です。Run-DMCの1984年のデビュー作に収録されている「Hard Times」は80年代の貧困についての曲です。

80年代のレーガン政権時代に育ったラッパー達、ジェイ・Z、2パック、ノトーリアス・B.I.G.、アイス・キューブ、NWA、スカーフェイスやゲトー・ボーイズなどは、政府の不履行が一般家族とコミュニティにどのように影響したか鋭い洞察力で提議しています。NWAのイージー・Eはラッパー達を「アンダーグラウンド・レポーター」と呼び、彼らは「白塗りされた」(白人目線の)メディアがテレビで報道する「夜のニュース」とは全く異なったニュースを伝えていました。貧困や苦難とはほど遠い、ラップのリスナー層(主に白人層)は、レーガン下のアメリカで起こっている物事の最前線からニュースを受けとっていました。そのニュースはジワジワと広がり、最終的に実際に何が起こっているのか人々は真実を知ったのです。ラップのリスナー層は、大手のメディアが築き上げた「何か」について自分がまだ知らないということに気づきました。レーガンは最悪でトリクルダウン理論は機能しなかったということです。レーガンが大統領就任当時、8歳だったBiggieは「Things Done Changed」という曲で警告していました。そして、彼は正しかったのです。

レーガンによって送りだされた制御不能な資本主義は、国内の雇用を中央アメリカなど国外に送りました。レーガンのコカインは、本格的なアメリカ危機の原因になり、現在では現在何百万という人々を刑務所へ送る口実となっています。「福祉女王」(welfare queen)と言われる女性たち(レーガンはジェイ・Zの母であるグロリア・カーター、2パックの母親のアフェニ・シャクールや、ビギーの母親であるボレッタ・ウォレスといった女性たちを意味した)は、経済的に将来の見通しが立たず、政府からの援助も減り、絶望だけが増えていくアメリカという土地で、もがき苦しんでいたのです。レーガンは富裕層に権力を持たせ、それらを更に豊かにする事だけに成功しました。それは、貧困層や労働者階級、特に若いアメリカ黒人を犠牲にして成り立ったのです。

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ウォール街を占拠せよ

現在、若い世代のラッパー達が、引き続きレーガンや彼が象徴するイデオロギーについて批判をしています。彼らに加わる事が「ウォール街を占拠せよ」を代表とするアメリカ経済界、政界に対する一連の抗議運動であり、30年以上続いているレーガニズムへの抗議です。ラップ音楽はアメリカで反逆の音楽となり、世界中に広がっています。「ウォール街を占拠せよ」の一連の抗議運動とヒップホップは、 強い勢力になりうる可能性を証明しました。ジェイ・Z、ルぺ・フィアスコ、タリブ・クェリ、バン・Bやラッセル・シモンズなどは、この抗議運動に耳を貸しました。ルぺがリリースしたミックステープ「 Friend Of The People」は「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動に捧げられ、彼は「新ギャング注意報!」と警告しました。レーガン時代は遂に終焉に近いのかもしれません。

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ということで、よくメッセージや政治色の強いラップを「コンシャス・ヒップホップ」とジャンルづけて特定のアーティストの名前が上がります。しかし、デイビー・ディー先生が「ヒップホップはいつだってポリティカルさ」と語っているように、現在のUSメジャー・シーンでも結構コンシャスな作品がリリースされています。パーティ時に、考え込んでしまう曲では踊れないので、クラブでの大ヒットになる可能性は非常に低いかと思いますが、ラッパー達のコンシャスな面にも目を向け、自分自身と関連づけて、今日本で起こっている諸問題や情勢も考えて行動してみるとナイスだと思います。「お金、セクシーな女の子、尻、ウィード、車、ファッション…」というイメージが引き続き先行している現行のUSメジャー・ヒップホップですが、ケンドリック・ラマーのHiiiPowerムーブメントなど新世代の動きも非常に興味深いです。見逃すな!

*その他参考記事
レーガン時代、黒人/女性/同性愛者であることの痛みと覚醒
― サファイアの『プッシュ』とリー・ダニエルズ監督の『プレシャス』をめぐって

黒人社会の二極分化を象徴する2本の映画
― 『ジャングル・フィーバー』『ボーイズ’ン・ザ・フッド』

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