WEST COAST HIPHOP HISTORY年表(1959−1979)[改訂版]

WEST COAST HIPHOP HISTORY年表(1959−1979)[改訂版]

2月はブラック・ヒストリー・マンス!ということで、2009年に本サイトに掲載した「WEST COAST HIP HOP HISTORY年表(1959−1979)」の改訂版をアップ!西海岸ヒップホップといえば、ギャングスタ・ラップ。その歴史の始まりはアイス-TやN.W.Aではなく、オールド・スクール期もきちんとあります。あまりフォーカスされない西海岸ヒップホップのオールド・スクール期ですが、映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』公開や、筆者の追加リサーチにより、10年前より多くの情報が明らかになったため、改めて歴史を辿ってみました。まずは、黎明期前の1959年から1979年までのヒップホップと、それに関連する歴史的イベントのタイムラインです。


1959年2月16日:アイス-T誕生
アイス-T(Ice-T / Tracy Lauren Marrow)がニュージャージー州ニューアークで生まれる。


1960年1月26日:“フリーウェイ”リック・ロス誕生
80年代にロサンゼルスでドラッグ・エンパイア/クラック王として有名となるドラッグ・ディーラー、“フリーウェイ”リック・ロス(”Freeway” Rick Ross)がテキサスで生まれる。


1964年9月7日 :イージー・E誕生
イージー・E (Eazy-E / Eric Lynn Wright)がカリフォルニア州コンプトンで生まれる。


1965年2月18日:ドクター・ドレ誕生
ドクター・ドレ(Dr.Dre / Andre Romel Young)がカリフォルニア州コンプトンで生まれる。


1965年4月19日 :シュグ・ナイト誕生
シュグ・ナイト(Suge Knight / Marion Hugh Knight Jr.)がカリフォルニア州コンプトンで生まれる。


1965年8月11日:ワッツ暴動
ロサンゼルスのワッツ地区で、ワッツ暴動(The Watts Riots/the Watts Rebellion)が発生。死者34人、負傷者1,032人、逮捕者は4000人に及ぶ。


1966年2月28日:マーヴェリック・フラット開店
ジョン・ダニエルズ(John Daniels)がクレンショー・ブルヴァード(Crenshaw Blvd)に、マーヴェリック・フラット(Maverick’s Flat)というナイトクラブ/レストランをオープン。当時、ロサンゼルスでジャズ、ソウル、リズム&ブルースが聴けるスポットとして知られ、マーヴィン・ゲイ、パーラメント、ファンカデリック、アース・ウィンド・アンド・ファイア、コモドアーズ、アイク&ティナ・ターナーなどが出演。「西海岸のアポロ・シアター」とも呼ばれていた。

内装インテリアは、ザ・テンプテーションズのアルバム『Psychedelic Shack』からインスパイアされ、こけら落としライブは、ザ・テンプテーションズが行った。マーヴェリック・フラットは、ロサンゼルスのブラックミュージック・シーンの発展において重要な役割を果たした草分け的なクラブ。キャンベル・ロックというロックダンスを考案したドン・キャンベル(Don Campbell)も、このクラブによく出入りし、ダンサー仲間と出会った場所である。このナイト・クラブ・シーンの発展が後のLAヒップホップ・シーンの形成にとっても重要なスポットとなる。<参考: 「Leimert Park (Images of America) 」>


1966年10月:ブラックパンサー党(BPP)結成
ヒューイ・P・ニュートン(Huey P. Newton)とボビー・シール(Bobby Seale)が、カリフォルニア州オークランドにて、ブラックパンサー党(The Black Panther Party/the Black Panther Party for Self-Defense)を結成。


1967年:ザ・ワッツ・プロフェッツ結成
ロサンゼルスのワッツでミュージシャン/詩人として活動していたリチャード・ディードゥ(Richard Dedeaux)、ファーザー・アムディ・ハミルトン(Father Amde Hamilton)、オーティス・オーソロモン(Otis O’Solomon) が、詩人集団グループ、ザ・ワッツ・プロフェッツ(The Watts Prophets)を結成。


1968 年:BPP、南カリフォルニア支部が誕生
活動家、バンチー・カーター(Bunchy Carter)が、ブラックパンサー党の南カリフォルニア支部を結成。


1968年4月4日:MLK暗殺
マーティン・ルーサー・キング牧師暗殺。 テネシー州メンフィスの「ロレイン・モーテル」のバルコニーで凶弾に倒れる。


1968年 :アフェニ・シャクールBPP加入
トゥパック・アマル・シャクール(Tupac Amaru Shakur)の母親、アフェニ・シャクール(Afeni Shakur)が、21歳にしてブラックパンサー党に加入。ハーレム支部のセクション・リーダーとなる。


1968年10月17日 :ブラックパワー・サリュート
メキシコシティオリンピックで、男子200メートル競走を世界記録で優勝したトミー・スミス(Tommie Smith)と3位のジョン・カーロス(John Carlos)が、表彰台にて、黒い手袋をはめ拳をあげ、公民権運動を支持する示威行動「ブラックパワー・サリュート(Black Power salute)」を行う。


1969年1月17日:BPP党員殺害
ブラックパンサー党カリフォルニア支部のリーダー、バンチー・カーター(Bunchy Carter)と、党員のジョン・ヒューギンズ(John Huggins) カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で殺害される。


1969年:ストリートギャングギャング:クリップス結成
アフリカ系アメリカ人を中心としたストリートギャング、クリップス(Crips)のオリジナル創設者、レイモンド・ワシントン(Raymond Washington)が、ロサンゼルスで、ストリートギャング、ザ・ベイビー・アヴェニュー(The Baby Avenues)を結成。

喧嘩早いことで知られていたレイモンド(当時15歳)は、ブラックパンサー党に憧れ、伝説的なボディビルダー、クレイグ・マンソン(Craig Munson)と、その兄弟が率いていたサウスセントラル東部のストリートギャング、ザ・アヴェニューズ(The Avenues)に加入する。しかし、クレイグ・マンソンの兄弟と喧嘩をし、ザ・アヴェニューズを除名、自身でザ・ベイビー・アヴェニューを結成した。その後、ザ・アヴェニュー・クリブス(The Avenue Cribs)、クリブス(Cribs)と名前を変え、サウスセントラル地区で悪名高いストリートギャング集団、クリップス(Crips)となる。<参考:Raymond Lee Washington (1953-1979)


1969年:『The Black Voices : On the Streets In Watts』発売
ザ・ワッツ・プロフェッツがアルバム『The Black Voices : On the Streets In Watts』をリリース。


1969年:ロックダンス誕生
当時10代だったダンサー、ドン・キャンベル(Don Campbell)がロサンゼルスで、キャンベル・ロック(Campbellock)というロックダンスを考案。その後、ストリートダンス旋風が巻き起こり、後にポッピング、ロッキングやブーガルーといったダンスに発展する。


1969年4月:アフェニ・シャクール逮捕
トゥパックの母親アフェニ・シャクールが、ニューヨークはマンハッタンの5つのデパート爆破計画共謀罪の疑いで逮捕される。


1969年6月15日:アイス・キューブ誕生
アイス・キューブ(Ice Cube / O’Shea Jackson)がロサンゼルスのサウスセントラルで生まれる。


1971年6月16日:トゥパック・シャクール誕生
トゥパック(Tupac Amaru Shakur)が、ニューヨーク州はイースト・ハーレムで生まれる。


1971年10月20日 :スヌープ・ドッグ誕生
スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg / Cordozar Calvin Broadus)がカリフォルニア州はロングビーチで生まれる。


1972年8月20日:ワッツタックス開催
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで伝説的フェス「ワッツタックス(Wattstax)」が開催。10万人を超える集客を記録し、“黒いウッドストック”と呼ばれた。


1973年:ザ・ロッカーズ結成
ドン・キャンベル(Don Campbell)が、後にザ・ロッカーズ(The Lockers)となるダンスクルー、ザ・キャンベルロック・ダンサーズ(The Campbellock Dancers)を結成。メンバーは、フレッド・ベリー(Fred Berry)、トニー・バジル(Toni Basil)、アドルフ “シャバドゥー”キノーネス (Adolfo “Shabadoo” Quinones)、スリム・ザ・ロボット(Slim the Robot)、フルーキー・ルーク(Fluky Luke)、グレッグ” キャンベルロックジュニア”ポープ(Greg “Campbellock jr” Pope)。


1973年:『ワッツスタックス』ドキュメンタリー公開
1972年にロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで伝説的フェスワッツスタックス(Wattstax)のドキュメンタリー映画『ワッツタックス/スタックス・コンサート』公開。


1973年:映画『THE MACK』公開
カリフォルニア州オークランドで撮影されたマックス・ジュリアン(Max Julien)、リチャード・プライヤー(Richard Pryor )主演のブラックスプロイテーション映画『THE MACK』が公開。音楽は、LAモータウンのウィリー・ハッチ(Willie Hutch)が手がけている。プレイヤーやピンプの実生活を描いたこの映画は、初期のベイエリアのラッパーのスタイルに直接的、間接的に影響を与える。


1974年:ディスコ・ブーム到来
エンターテイメント業界で空前のディスコ・ブーム到来。ラジオとクラブシーンの両方でディスコが流行する。


1974年:『The Revolution Will Not Be Televised』発売
ギル・スコット-ヘロン(Gil Scott-Heron)がアルバム『The Revolution Will Not Be Televised』をリリース。


1974年:クラック・コカイン発明!
20年に渡りクラック・コカインについて研究している、カリフォルニア大学ロサンゼルス校精神医学行動科学科准教授/法精神薬理学の専門家、ロナルド・K・シーゲル( Ronald K. Siegel )が、麻薬密売人に行ったインタビュー調査によると、1974年1月にクラック・コカインの生成方法が発明された可能性があると考えられている。南米でコカ・ペースト(コカイン・ベースとも呼ばれる)を喫煙しているのを見た麻薬密売人が1970年初頭にコカ・ペーストをアメリカに輸入した。

コカ・ペーストは、強力で中毒性が非常に高かったが、生産するには大量のコカが必要なため、麻薬密売人だけが使用していた。インタビュー調査に参加した麻薬密売人によると、彼は1974年1月、化学者に「南米では(コカイン)ベースを喫煙している」と南米のコカ・ペーストの話をしたと語っている。化学者は「Cocaine Base(コカイン・ベース)」を、コカイン塩酸塩の「塩基(Base/ベース)」形態を勘違いし、重曹とエーテルを使用して、麻薬密売人から聞いた話の物質を再現しようと試みる。結果的に、南米で喫煙されていたコカ・ペーストよりも純粋で濃縮度の高いコカイン遊離塩基(クラック・コカイン)が発明されたと考えられている。

<参考:THE CIA-CONTRA-CRACK COCAINE CONTROVERSY: A REVIEW OF THE JUSTICE DEPARTMENT’S INVESTIGATIONS AND PROSECUTIONS (December, 1997)


1975年:Poppin/Lockin/Boogalooの発展
テレビで放映されたザ・ロッカーズ(The Lockers)のパフォーマンスを観たブーガルー・サム(Boogaloo Sam)が、一連の動きをまとめ、ダンスのスタイル、ポッピン(Popping)、ロッキン(Locking)ブーガルー(Boogaloo)として発展する。


1976年2月:『The Mothership Connection』発売
西海岸ヒップホップに影響を与え続けているパーラメント (Parliament)の『The Mothership Connection』がリリース。Gファンク (G-funk/G funk)サウンドのバックボーンとなり、シングルカットされた「Give Up the Funk (Tear the Roof off the Sucker)」は、ロッキンといったダンスのテーマ曲となる。


1977年:ザ・エレクトリック・ブーガルー・ロッカーズ結成
カリフォルニア州のフレズノ(Fresco)にて、ブーガルー・サムが、スライド(Slide)とザ・エレクトリック・ブーガルー・ロッカーズ(The Electronic Boogaloo Lockers)を結成し、ロボット・ジョー(Robot Joe)、トイマン・スキート(Toyman Skeet)、ティッキン・ウィル(Tickin Will)、トゥイスト-オー-フレックス・ドン(Twist-O-Flex Don)とアント・マン(Ant Man)をメンバーに入れた。


1977年:『Funkentelechy Vs the Placebo Syndrome』発売
パーラメントが『Funkentelechy Vs the Placebo Syndrome』をリリース。シングルの「Flashlight」は、カリフォルニアのロッカーズ、ポッパーズ、ロッカーズ、ブーガルーアーズといったダンサーたちのスタンダード曲となる。


1977年7月25日:最初のラップ・アルバム発売
最初のラップ・アルバム、ファットバック・バンド(The Fatback Band)の『King Tim III” (Personality Jock)』がリリースされる。


1979年 8月2日:2枚目のラップ・アルバム発売
2枚目のラップ・アルバムで、商業的成功を納めたシュガーヒル・ギャング(The Sugar Hill Gang)の『Rapper’s Delight』がリリースされ、西海岸のシーンへも影響を与える。


1979年:トゥー・ショート活動開始
ロサンゼルスのサウスセントラルで生まれ、20代にオークランドに移住したトゥー・ショート(Too Short / Todd Anthony Shaw)が、パートナーのフレディ・B(Freddy B)と共に、ファースト・ミックステープを制作し、売り始める。その後9年に渡り、ミックステープを作っては自分たちで販売していた。


1979年 : イヴ・アフター・ダーク 開店
DJとして活動していたアロンゾ”ロンゾ”ウィリアムス(Alonzo “Lonzo” Williams)と、彼のイベントプロモーター・チーム、ディスコ・コンストラクション(Disco Construction)が、コンプトンにイヴ・アフター・ダーク(Eve’s After Dark)というナイトクラブをオープンする。DJ・イェラ(DJ Yella / Antoine Carraby)やドクター・ドレ(Dr. Dre / Andre Romel Young)といった地元DJを雇い、ダンサーのコミュニティとなる。

カーティス・ブロウ(Kurtis Blow)やRun-D.M.C.など東海岸初期のラッパーのライブ・ブッキングも行い、当時高校生だったアイス・キューブ(Ice Cube)もC.I.A. (Criminals In Action)というグループで、このクラブでマイクを握っていた。その後、ロンゾはディスコ・コンストラクション名義で音源をリリースし、レッキンクルー(Wreckin’ Cru)というエレクトロのサブ・グループを作る。初期メンバーは、ロンゾ、DJ・イェラ、DJ クラインテル(DJ Cli-N-Tel)、DJアンノウン(DJ Unknown)とドクター・ドレ。ロサンゼルスを中心に活動し、ニュー・エディション(New Edition)のロサンゼルス公演では前座を務めた。<写真/参考:Eve’s After Dark


1979年12月:麻薬王クラックを目撃
“フリーウェイ”リック・ロス(”Freeway” Rick Ross)が初めてクラック・コカインを目撃する。

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