USヒップホップ界隈から探る古代エジプトの謎【3】

USヒップホップ界隈から探る古代エジプトの謎【3】

USヒップホップ界隈から探る古代エジプトの謎【1】【2】では、70年代のジャズ/ファンク、90年代のヒップホップから現代の黒人アーティストたちまで、古代エジプトのモチーフを起用している例を紹介した。

日本の一般的な歴史書では、「古代エジプト人」は「古代エジプト人」として登場し、彼らがどのような民族かについて全く触れられていないか、「アフリカ系、ヨーロッパ系、アジア系の混ざった民族と考えられている」という記述がある程度かと思われる。そして、日本で生まれ育った一般的な人で「古代エジプト文明」と「黒人」が直接結びつく感覚や認識を持っている人は少ないのではないかと思う。しかし、USヒップホップ界隈から探る古代エジプトの謎【1】で紹介したネフェルティティ論争をみてもわかるように、アメリカの黒人コミュニティでは、一般的な事実として「古代エジプト文明は黒人のルーツ」であると認知されている。様々な学者の意見や主張があるが、この考えは下記の内容を中心に普及したと考えられる。

<注意事項>
本記事は、人種の優劣や歴史的事実を証明したり、特定の主義を掲げる意図はなく、アメリカの黒人文化や歴史を考察する上で、アメリカの歴史的背景、多様な学説や主張を知ることを目的としている。そして、歴史学者でも宗教学者でもないヒップホップ好きがリサーチし、まとめた内容であることを前提にお読みください。1〜4に関しては、『黒人学・入門 黒いキリスト教からNBAまで ブラック・カルチャーの素顔を知る決定版! 』(別冊宝島EX/1993年)の丸子王児氏(アメリカ社会問題研究家)の「イエス黒人説がキリスト教文化の出自に突きつけるもの」を参考に、補足や詳細情報を追加している。


1. イエス・キリスト黒人説!?

アフリカ系アメリカ人の大部分は、奴隷制時代、ヨーロッパからきた伝道師を通じてキリスト教徒になっている。16世紀頃、ヨーロッパ人はすでに白人のイエス・キリストを確立しており、黒人奴隷も世代が進むにつれ白人のイエスに祈ることに慣らされていった。そして、黒人コミュニティへのキリスト教の浸透とともに、旧約・新約聖書の研究が活発になった。その過程で、聖書の中にエジプト、エチオピア、クシュなどアフリカの地名や人名が出てくることから、「キリスト教の成立にアフリカ人が深く関わっていたのではないか?」という疑問が浮上してくる。

イエス・キリスト黒人説を支持している学者によると、エジプトでは、古代エジプトの女神イシスが「無原罪の宿り」で息子ホルスを生む神話が、処女マリアと聖なる子イエスの話より数千年も前から知られていたという。この神話はヨーロッパにも伝わり、イシスがホルスを抱いた絵や像は、イシスの肌が黒いため「ブラック・ヴァージン」(Black Virgin/Black Madonna)と呼ばれ、ギリシア、ローマ、西ヨーロッパの各地で広く崇拝されていた。しかし、ルネサンス以降、ブラック・ヴァージンは白人優越主義の台頭と共に、ほとんどの教会では白人の風貌に取って代わっていった。イエス・キリストは実在したのではなく、エジプト神話の黒人ホルスの焼き直しにすぎないという説が論じられている。また、イエスの誕生日もエジプト神話に関係していると説いている。

◎ゴッドフリー・ヒギンズ / Godfrey Higgins (1772 – 1833)
イギリスの治安判事/地主/古代研究で著名な歴史家。様々な宗教神話の共通性を論じた著書「アナカリプシス」で知られている。彼は「イエス・キリストは黒人だった」と述べている。

◎ウォルター・アーサー・マックレイ / Walter Arthur McCray (1952 -)
アメリカはシカゴの聖書研究家/牧師。1999年以来、全米黒人福音協会(NBEA)の会長を務める。牧師活動の他に執筆活動も行った。ベストセラー著書「The Black Presence in Bible」(1990)では、聖書に載っている家系を辿ってイエスが黒人であることを証明しようとした。

◎ルドルフ・R・ウィンザー / Rudolph R. Windsor (1935 -)
中東史研究家。著書「From Babylon to Timbuktu」(1969)では、旧約聖書の登場人物のほとんどが黒人であったことを証明しようとした。

ここで問題が発生!

イエス・キリストの生まれを問う試みは、単なる宗教的研究の域を超えて、西ヨーロッパ発展の基礎となったキリスト教の起源を問うことであり、その前後の歴史を見直すことになってしまう。さらに、文明の基礎を築いたのは誰か?という人類全体にとって非常に重要な問題に行きついてしまう。学会には、それを望まない勢力があるらしい。

<番外編メモ>

日本にも存在する黒い聖母!?
「ブラック・ヴァージン」と呼ばれる黒い聖母は、現在でもアフリカ、ヨーロッパ諸国、南米諸国、アジアなど世界各地のカトリック教会に存在する。ここ日本にも、山形県鶴岡市にある鶴岡カトリック教会天主堂に黒い聖母が存在している。

★アメリカ最大の宗教勢力といわれるキリスト教福音派
現代アメリカの人口の20%から25%を占めるアメリカ最大の宗教勢力といわれるグループに、キリスト教福音派(エバンジェリカル)と呼ばれる人たちがいる。昨今のアメリカ政治ニュースでよく登場する彼らは、神が人類を創造したとする「創造論」を信じ、聖書の記述を重視し、伝統を重んじるグループだ。このキリスト教福音派は、共和党の支持基盤のひとつで、前回の大統領選挙で、トランプ氏はこのキリスト教福音派の80%の支持を得たとされている。彼らは、進化論への反対をはじめ、昨今の政治的論争となった人工妊娠中絶、同性婚の是非などにも反対している。また、LGBTのような多様性を認めるなどのリベラルな社会改革にも反発している。


2. エジプト文明はアフリカ文明!?

イエスの系図で辿られるハム民族は、一般的に古代エジプト人の源と考えられている。すなわち、イエス・キリストが黒人であったと認めることは、古代エジプト人が黒人であったと認めることにもなる。

歴史家のヘロドトス、詩人のホメロスといった古代エジプト人と同時代の古代ギリシア人たちは、古代エジプト人の肌が黒く髪が縮れていたことを、直接あるいは間接的に描写している。そして、古代エジプト遺跡で発見された像や壁画も、彼らの肉体的特徴を知る有力な証拠となっている。

ウォルター・アーサー・マックレイによると、聖書にエジプトの兄弟として紹介されている「クシュ」(Cush/Kush)は、エジプト南部のヌビア、スーダン、エチオピアの人々が自称した名前であるという。ヘブライ語では、この「クシュ」が「黒」を意味する単語として使われている。近年の考古学的発見から、ヌビア文明(紀元前3800年)の方がエジプト(紀元前3000年)より古く、共通点が多いため、ヌビア文明の担い手がエジプト文明を築き、同時にスーダンのクシュ王国を築いたという説も存在している。


3. ヨーロッパ中心史観の成り立ちと意図された聖書の翻訳

ヨーロッパ中心史観は、ムーア人が伝えた航海術により、スペインやポルトガルなどが先陣をきった15世紀頃の大航海時代からはじまる。一方、イタリアを中心にイスラム文化の遺産を元に、科学や芸術にヨーロッパ人が手を染め始めた。彼らの目標はヨーロッパの自立を目指し、アフリカ人やイスラム勢力の余韻をできるだけ消すことだった。その方法が、事実の削除や歪曲というやり方で進められた。発端はルネサンス芸術家の宗教美術である。ブラック・ヴァージンとその子ホルスは、ヨーロッパ人の聖母マリアとイエスに取って代わった。ミケランジェロは白人の特徴を持つダビデ像を作り、レオナルド・ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」でイエスと十二使徒をヨーロッパ人の風貌で描いた。

現在アメリカのほとんどのプロテスタント系キリスト教会で使用されている聖書は、17世紀にイギリス王ジェームス1世の命令で翻訳されたものである。翻訳者は「クシュ」と「エチオピア」の区別を曖昧にし、エチオピアという言葉をより頻繁に用いた。聖書の書かれたヘブライ語で「クシュ」は黒を意味する。アフリカ黒人を明確に連想させる「クシュ」を聖書から除去し「エチオピア」を頻繁に使うことで、奴隷化されはじめた西アフリカの黒人と聖書に出てくるアフリカ人とが無関係であるような一般ヨーロッパ人の観念が形成されていった。

18世紀には、デイヴィッド・ヒュームイマヌエル・カントといった歴史家や哲学者が現れ、ギリシア・ローマを基礎とするヨーロッパ中心史観に磨きがかかり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが完成させたといわれている。ギリシアやローマを歴史の中心に置き、エジプトはアフリカではない、つまりアフリカ人は文明になんの貢献もしていないという理論が形成された。

19世紀になると、アルテュール・ド・ゴビノーハーバート・スペンサーが、ダーウィンの進化論や自然淘汰説を応用しながら、白人優越論(=黒人劣等論)を展開し、奴隷制の正当化を進めた。そして、ヨーロッパ人によるアフリカの植民地化、黒人の奴隷化のおかげで、未開の黒人にも文明の恩恵がもたらされたと大真面目に論じられた。このような理論がレイシズムの基礎となり、欧米だけでなく全世界に広まっていった。


4.ヨーロッパ系学者の白人優越主義に対するアフリカ系学者の闘争

近代アメリカの黒人解放運動における指導者であり、全米黒人地位向上協会(NAACP)の創立者でもあるW.E.B. デュボイスは、今日の文明の基礎がアフリカで築かれたこと、その担い手が今日の黒人と同じアフリカ人であることを主張し、黒人たちに民族の誇りをもつように説いた。20世紀に入ると、多くのアフリカ系学者が現れ、これまでのヨーロッパ中心史観から脱し、人類のアフリカ誕生、文明の発生、文明が行き渡ったかなどについて、アフリカ人が人類史に果たした貢献の研究に対して、人々に関心を向けさせようと努力し始めた。

◎ジョエル・オーガスタス・ロジャース / Joel Augustus Rogers (1880 – 1966)
ジャマイカ系アメリカ人作家/ジャーナリスト/歴史家。アフリカン・ディアスポラとアフリカ史研究に貢献した。

◎ジョン・G・ジャクソン / John G. Jackson (1907 – 1993)
アメリカのパン・アフリカ主義の歴史家/講師/教師/作家。アフロセントリズムや比較神話学におけるイエス・キリストの概念を論じた。

◎ジョン・ヘンリック・クラーク / John Henrik Clarke (1915 – 1998)
アメリカの作家/歴史学者。アメリカにおけるアフリカ研究の第一人者として、アフロ・アメリカン文化を広めることに貢献した。
※2019年のYasiin Beyのライブでは、彼のインタビュー映像がステージ背景に流れていた。

◎ヨセフ・ベン=ヨキャナン(ベニョカナン) / Yosef Ben-Jochannan (1918 – 2015)
ドクター・ベンの愛称で親しまれているアメリカの作家/歴史学者/活動家。ナイル流域文明やそれが西洋文化に与えた影響などエジプト学に関する本を49冊出版している。急進的な黒人解放運動家の間では、著名なアフロセントリック学者のひとりとして尊敬されている。しかし、主流派の学者からは、彼の作品に歴史的な不正確さが含まれていること、彼の学歴や学位の信憑性について異議が唱えられた。歴史を歪曲し黒人の優位性を推し進めたとして批判を受けてきたが、コーネル・ウェストタナハシ・コーツといった後世代の知識人からは尊敬を集めている。

◎イヴァン・ヴァン・セルティマ / Ivan Van Sertima (1935 – 2009)
ガイアナ生まれ。アメリカ・ラトガース大学のアフリカ研究の准教授。アフリカ黒人がコロンブス以前にアメリカに到達し先住していたという説、オルメカ文明の有名な巨石人頭像はアフリカ人を描いたものだという説を論じた著書「They Came Before Columbus: The African Presence in Ancient America (Journal of African Civilizations)」(1976)で知られている。彼のオルメカ理論は、アフリカ系アメリカ人の間で幅広く普及した。しかし、メソアメリカ研究学会からは、アフロセントリックな超古代文明説、あるいはネイティブ・アメリカンの文化を奪った偽史として賛同されていない。

◎シェイク・アンタ・ディオプ / Cheikh Anta Diop (1923 – 1986)
セネガルの著名な歴史学者/人類学者/物理学者/政治家。人類の起源や植民地化以前のアフリカ文化を研究した。彼の作品にはキャリア全体を通して論争の的となり、歴史修正主義、偽史として批判されているものもある。セネガルにあるシェイク・アンタ・ディオプ大学(旧ダカール大学)は、彼の名前をとったものである。

ピューリッツァー賞受賞歴のあるアメリカのユダヤ系歴史家、アーサー・シュレジンガーは、ナイル流域文明とアフリカ人を結びつける研究について、エジプトはヌビアで発見されている遺跡に見られる人物像の黒人的特徴や古代歴史家の証言などを証拠とする説に「馬鹿げた説」として取り合わなかった。


「ナショナルジオグラフィック」の2008年2月号に掲載されている「古代エジプトを支配したヌビア人の王たち ブラックファラオ」という特集記事の「軽視されたヌビアの歴史」の章で、ブラック・ファラオが軽視されてきた歴史についても触れられている。

古代世界に人種差別はなかったようだ。ピイがエジプトを征服した時代には、肌の色は問題にされなかった。古代のエジプト、ギリシャ、ローマの彫刻や壁画には、人種的な特徴や肌の色がはっきりと表現されているが、黒い肌が蔑視されていた様子はほとんどない。肌の色を気にするようになったのは、19世紀に欧州列強がアフリカを植民地化してからだった。

『古代エジプトを支配したヌビア人の王たち ブラックファラオ』

米ハーバード大学の著名なエジプト学者ジョージ・レイズナーは、1916~19年の発掘調査で、ヌビア人の王によるエジプト支配を裏づける考古学的な証拠を初めて発見した。だが、遺跡の建設者は肌の黒いアフリカ人であるはずがないと主張し、自身の業績に汚点をつけた。

『古代エジプトを支配したヌビア人の王たち ブラックファラオ』

クシュの王たちは白人だったのか、それとも黒人だったのか。歴史家たちの見解が二転三転する時期が何十年も続いた。権威あるエジプト学者、キース・シーレとジョージ・ステインドーフは1942年の共著書の中で、ヌビア人の王朝とピイ王の征服についてわずか3行ほどしか触れておらず、「だが、彼の支配は長く続かなかった」とあっさり片づけている。

『古代エジプトを支配したヌビア人の王たち ブラックファラオ』

ヌビアの歴史が軽視された背景には、19世紀から20世紀にかけての欧米人の偏見にとらわれた世界観だけでなく、過熱気味のエジプト文明礼賛と、アフリカの歴史に対する理解不足があった。「初めてスーダンに調査に行ったときには、『なんでそんなところに。歴史はエジプトにしかない』と言われたものです」と、スイスの考古学者シャルル・ボネは振り返る。

『古代エジプトを支配したヌビア人の王たち ブラックファラオ』

ということで、次回は60年代の公民権運動や学生運動によって設立されたブラックスタディーズについて、そして黒人学者による古代エジプト研究において、どんな内容が論じられているのかみていこうと思う。

【編集後記】
本記事をまとめるにあたり、一般的にアクセス可能な日本語の資料が非常に少なく、黒人学者の名前もYoutubeにある講演映像を聞き取って表記するほどだった。そして、宗教というセンシティブなトピック、聖書の解釈をめぐる様々な論争もあるため、書くべきか迷う部分もあったが、歴史的背景や多様な考えを主張している人たちがいるということを知ることが大事だと思い、記事にした。世の中にはまだまだ知らないことが多い。そして、知らないことを知るのは楽しい!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください